アレクサンダー・ウィリアムズ・ランドール

The Honorable
アレクサンダー・ランドール
Alexander Randall
第22代アメリカ合衆国郵政長官
任期
1866年7月25日 – 1869年3月4日
大統領アンドリュー・ジョンソン
前任者ウィリアム・デニソン・ジュニア
後任者ジョン・クレスウェル
第3代駐ローマ教皇庁アメリカ合衆国弁理公使(英語版)
任期
1862年6月6日 – 1862年8月4日
大統領エイブラハム・リンカーン
前任者ジョン・P・ストックトン(英語版)
後任者リチャード・ブラッチフォード(英語版)
第6代 ウィスコンシン州知事
任期
1858年1月4日 – 1862年1月6日
副知事エラスムス・D・キャンベル(英語版)
バトラー・ノーブル(英語版)
前任者コールズ・バッシュフォード(英語版)
後任者ルイス・P・ハーヴェイ(英語版)
ウィスコンシン州巡回裁判所(英語版)第2裁判所判事
任期
1856年4月 – 1857年12月31日
任命者コールズ・バッシュフォード(英語版)
前任者リーヴァイ・ハベル(英語版)
後任者アーサー・マッカーサー・シニア(英語版)
ウィスコンシン州下院議会議員
ウォキショー郡第4選挙区選出
任期
1855年1月10日 – 1856年1月9日
前任者ジェシー・スミス
後任者チャールズ・S・ハーレイ
個人情報
生誕Alexander Williams Randall
(1819-10-31) 1819年10月31日
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 ニューヨーク州エイムズ(英語版)
死没 (1872-07-26) 1872年7月26日(52歳没)
アメリカ合衆国 ニューヨーク州エルマイラ
墓地ニューヨーク州エルマイラ
ウッドローン墓地(英語版)
政党共和党 (1855年-1872年)
ホイッグ党 (1838年以前、1849年-1855年)
自由土地党 (1848年-1849年)
民主党 (1838年-1848年)
配偶者メアリー・C・ヴァン・ヴェクテン
ヘレン・M・トーマス
子供サラ・アダリン・ランドール
サラ・ビーチ
フィニアス・ランドール
専業弁護士

アレクサンダー・ウィリアムズ・ランドール(Alexander Williams Randall, 1819年10月31日 - 1872年7月26日)は、アメリカ合衆国弁護士政治家1858年から1862年まで第6代ウィスコンシン州知事を、1866年から1869年まで第25代アメリカ合衆国郵政長官を務めた。

生い立ちと家族

1819年10月31日、ランドールはニューヨーク州エイムズにおいて、フィニアス・ランドール (Phineas Randall, 1787-1853) の息子として誕生した。ランドールは地元の公立学校で初等教育を受けた後、私立学校チェリー・ヴァレー・アカデミーを卒業した。

その後ランドールは家族とともにウィスコンシン準州のプレイリーヴィル(現在のウィスコンシン州ウォキショーに移った。ランドールは父親の下で法律を学び、1839年に弁護士として認可を受けた。ランドールは1840年にプレイリーヴィルで弁護士業を開業した。

初期の政治活動

ランドールは1840年に弁護士業を開業した後、ホイッグ党の党員として地方政治に関与するようになった。その後民主党の党員となったランドールは、1845年ジェームズ・ポーク大統領からプレイリーヴィルの郵便局長に任ぜられた。ランドールは郵便局長を1855年まで務めた。またランドールは、1846年にウィスコンシン州憲法制定会議の代表も務めた。

ウィスコンシン州下院議員

1848年、ランドールはウィスコンシン州下院議員に選出された。ランドールは奴隷廃止運動に関与し、共和党のウィスコンシン州知事コールズ・バッシュフォードに着目された。ランドールは1856年にバッシュフォード州知事からウィスコンシン州第2巡回裁判所判事に任ぜられた。

ウィスコンシン州知事

1858年1月4日、ランドールはウィスコンシン州知事に選出された。ランドールは南北戦争開戦後、ウィスコンシン州最初の志願兵部隊を創設し、合衆国軍を支援した。ランドールは在任中に18の連隊を設立し、10の砲兵隊、3の騎兵隊を組織した。ランドールは州が規定定員を超える3232人を動員した。

合衆国陸軍はランドールの支援に感謝し、ウィスコンシン州マディソンに訓練基地「キャンプ・ランドール」を創設した[1]

ランドールは任期満了となる1862年1月6日までウィスコンシン州知事を務めた。

駐バチカン公使

1861年8月6日エイブラハム・リンカーン大統領はランドールを駐ローマ教皇庁アメリカ合衆国弁理公使に指名した[2]。ランドールは1862年6月6日に信任状の奉呈を受けた。ランドールは1862年8月4日に弁理公使を辞任した。

郵政長官

1866年7月25日アンドリュー・ジョンソン大統領はランドールをアメリカ合衆国郵政長官に任命した。これは前任の郵政長官ウィリアム・デニソンの辞任によるものであった。ランドールはジョンソン大統領の任期満了となる1869年3月5日まで郵政長官を務めた。

晩年

ランドールは1872年7月26日に死去した。ランドールの遺体はニューヨーク州エルマイラに埋葬された。

注釈

  1. ^ キャンプ・ランドールは後に、ウィスコンシン大学の構内に組み込まれた。敷地にはサッカー競技場が設置され、「キャンプ・ランドール・スタジアム」と命名された。
  2. ^ http://www.state.gov/r/pa/ho/po/com/10878.htm

関連項目

公職
先代
コールズ・バッシュフォード(英語版)
ウィスコンシン州知事
1858年1月4日 - 1862年1月6日
次代
ルイス・ハーヴェイ(英語版)
先代
ジョン・P・ストックトン(英語版)
駐ローマ教皇庁アメリカ合衆国弁理公使(英語版)
1862年6月6日 - 1862年8月4日
次代
リチャード・ミルフォード・ブラッチフォード(英語版)
先代
ウィリアム・デニソン
アメリカ合衆国郵政長官
1866年7月25日 - 1869年3月5日
次代
ジョン・クレスウェル
準州 (1836年-1848年)
  • ダッジ(英語版)
  • ドーティ(英語版)
  • トールマッジ(英語版)
  • ダッジ(英語版)
  • カトリン(英語版) (代行)
Privy Seal of Wisconsin
Privy Seal of Wisconsin
(1848年以降)
  • デューイ(英語版)
  • ファーウェル(英語版)
  • バーストウ(英語版)
  • マッカーサー(英語版)
  • バッシュフォード(英語版)
  • ランドール
  • ハーヴェイ(英語版)
  • サロモン(英語版)
  • ルイス(英語版)
  • フェアチャイルド(英語版)
  • ウォッシュバーン
  • テイラー(英語版)
  • ラディントン(英語版)
  • スミス(英語版)
  • ラスク
  • ホアード(英語版)
  • ペック(英語版)
  • アップハム(英語版)
  • スコフィールド(英語版)
  • R・ラフォレット・シニア
  • デヴィッドソン(英語版)
  • マクガヴァン(英語版)
  • フィリップ(英語版)
  • ブレイン(英語版)
  • ジマーマン(英語版)
  • コーラー・シニア(英語版)
  • P・ラフォレット(英語版)
  • シュメデマン(英語版)
  • P・ラフォレット(英語版)
  • ヘイル(英語版)
  • (ルーミス(英語版)) *
  • グッドランド(英語版)
  • レネボーム(英語版)
  • コーラー・ジュニア(英語版)
  • トムソン(英語版)
  • ネルソン(英語版)
  • レイノルズ(英語版)
  • ノウルズ(英語版)
  • ルーシー(英語版)
  • シュライバー(英語版)
  • ドレイファス(英語版)
  • アール(英語版)
  • トンプソン(英語版)
  • マッカラム(英語版)
  • ドイル(英語版)
  • ウォーカー
  • エヴァース(英語版)
(*) 当選したものの、就任前に亡くなった。
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