アンドレア・イエガー

アンドレア・イエガー
Andrea Jaeger
アンドレア・イエガー
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地 同・シカゴ
生年月日 (1965-06-04) 1965年6月4日(58歳)
身長 168cm
体重 63kg
利き手
バックハンド 両手打ち
ツアー経歴
デビュー年 1980年
引退年 1987年
ツアー通算 14勝
シングルス 10勝
ダブルス 4勝
生涯通算成績 307勝123敗
シングルス 260勝85敗
ダブルス 47勝38敗
生涯獲得賞金 $1,379,065
4大大会最高成績・シングルス
全豪 ベスト4(1982)
全仏 準優勝(1982)
全英 準優勝(1983)
全米 ベスト4(1980・82)
4大大会最高成績・ダブルス
全豪 3回戦(1981・82)
全仏 ベスト8(1982)
全英 3回戦(1981)
全米 ベスト4(1980)
4大大会最高成績・混合ダブルス
全仏 優勝(1981)
優勝回数 1(仏1)
キャリア自己最高ランキング
シングルス 2位(1981年8月17日)
ダブルス ?位
テンプレート  ■プロジェクト テニス

アンドレア・イエガー英語: Andrea Jaeger, 1965年6月4日 - )は、アメリカイリノイ州シカゴ出身の元女子プロテニス選手。1982年全仏オープン1983年ウィンブルドンで、4大大会に2度の準優勝がある。どちらも決勝戦でマルチナ・ナブラチロワに敗れた。右利き、バックハンド・ストロークは両手打ち。シングルス自己最高ランキングは2位(1981年8月)。WTAツアーでシングルス10勝、ダブルス4勝を挙げた。

来歴

1980年1月に14歳でプロ転向。すぐに世界的な躍進を始め、「エイボン・フューチャーズ」(ラスベガス)の大会にて14歳8か月でプロ初優勝。これは当時、女子テニスツアーにおける2番目の年少優勝記録であった。同年のウィンブルドン選手権で大会史上最年少のシード選手になり、全米オープンでも史上最年少の15歳でベスト4進出を決める。翌1981年全仏オープンで、イエガーは同じアメリカのジミー・アリアス(英語版)とペアを組んで優勝した。当時イエガーは15歳339日、アリアスは16歳296日で、2人の年齢を合わせると「32歳270日」となる。これはテニスのギネスブックにも「史上最年少のグランドスラム優勝ペア」として記載され、今なお残っている。

イエガーは愛らしい天才少女としての人気も高く、2度のグランドスラム大会準優勝などで将来を嘱望されていた。ところが、彼女は1984年に19歳で肩の故障を起こす。全仏オープンで1回戦の試合開始前に棄権し、ロサンゼルス五輪公開競技(21歳以下の選手に限定、まだテニスの五輪種目の復帰は決まっていなかった)でも試合を途中棄権する。若すぎた身体の酷使により、先輩のトレーシー・オースチンと並んで“燃え尽き症候群”の教訓のひとりとして語られるようになった。

イエガーは1987年に現役を引退した後、大学で動物学や神学を学んだ。現在はアンドレ・アガシらスポーツ界の著名人とともに“Athletes for hope”という慈善活動団体の代表メンバーの1人として活動している。2004年には、主に慈善活動に重点を置いた自伝『First Service: Following God's Calling and Finding Life's Purpose』を出版した。

参考文献

  • Lance Tingay, “The Guinness Book of Tennis: Facts and Feats” (テニスのギネスブック) Guinness Superlatives Ltd., London (1983) ISBN 0-85112-268-X 本書からは242ページを参照した。
  • Andrea Jaeger, “First Service: Following God's Calling and Finding Life's Purpose” Health Communications, Inc., Deerfield Beach, Florida (2004) ISBN 0-7573-0169-X

外部リンク

1960年代
1970年代
1980年代
1990年代
2000年代
2010年代
2020年代
  • 20 開催無し
  • 21 デシラエ・クラウチェク&ジョー・ソールズベリー
  • 22 ウェスリー・クールホフ&柴原瑛菜
  • 23 ティム・プッツ&加藤未唯
全仏テニス選手権(1925–1967)混複 || 男単 | 女単 | 男複 | 女複
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