エイドリアン・ゴンザレス

エイドリアン・ゴンザレス
Adrian Gonzalez
ニューヨーク・メッツ時代
(2018年4月5日)
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
メキシコの旗 メキシコ
二重国籍[1]
出身地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
カリフォルニア州サンディエゴ
生年月日 (1982-05-08) 1982年5月8日(42歳)
身長
体重
6' 2" =約188 cm
225 lb =約102.1 kg
選手情報
投球・打席 左投左打
ポジション 一塁手
プロ入り 2000年 MLBドラフト1巡目
初出場 2004年4月18日
最終出場 2018年6月10日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
国際大会
代表チーム メキシコの旗 メキシコ
五輪 2021年
WBC 2006年2009年2013年2017年
この表について
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プロジェクト:野球選手  ■テンプレート

エイドリアン・サビン・ゴンザレスAdrian Sabin Gonzalez, 1982年5月8日 - )は、アメリカ合衆国カリフォルニア州サンディエゴ出身の元プロ野球選手一塁手)。左投左打。

愛称は高校時代にはイーストレイク・タイタンと呼称され、サンディエゴ・パドレス時代にパドレスのスペイン語解説者がスペイン風にアレンジしたエル・ティタン[2]

両親はともにメキシコ人であり、ゴンザレス自身はアメリカ合衆国とメキシコの二重国籍保持者である[1]。兄はエドガー・ゴンザレス[3]で、2008年からの2年間はパドレスでともにプレーした。

経歴

プロ入り前

アメリカ合衆国カリフォルニア州サンディエゴで1982年、メキシコ人の両親の間に生まれる。父はエアコン会社を経営する実業家で、若い時にはメキシコのナショナルチームで一塁手として活躍した人物でもあった[4]。父の仕事の関係で、2歳のときに一家で国境を越えてメキシコ合衆国バハ・カリフォルニア州ティフアナに移住[4][5]。4 - 5歳になったころ、父や2人の兄の影響から野球を始める[6]。10年ほどのメキシコ暮らしの後に一家はサンディエゴに戻り、ゴンザレスはイーストレイク高等学校(英語版)に進学する。

2000年初め、ベースボール・アメリカ誌の高校生有望株ランキングでゴンザレスは100人中26位にランクインされ、その後打率.645・13本塁打・34打点を記録したことで注目されるようになる[7]

プロ入りとマーリンズ傘下時代

2000年MLBドラフトで1巡目全体1位でフロリダ・マーリンズから指名を受けた。過去に高校生野手で全体1位指名を受けた選手には、ケン・グリフィー・ジュニアチッパー・ジョーンズアレックス・ロドリゲスなど後のMVP受賞経験者が並んでおり、当時からゴンザレスがどれほどの高評価を得ていたかがわかる。ゴンザレスは「マネーの心配は一切しなかった。1巡目の、それもトップで指名されたのだから、それだけで十分だった」とマーリンズから提示された条件は度外視し[6]、指名から1日後の6月6日に契約金300万ドルで入団を決めた。同年からマーリンズ傘下のマイナーリーグで試合に出場。

2001年にはA級ケーンカウンティ・クーガーズで17本塁打・103打点を記録し、ミッドウエストリーグMVPに選出された[8]

2002年もAA級ポートランドで17本塁打・96打点を記録。しかしシーズン終了後の12月に手首の手術を受けたため評価を下げることとなる[9][10]。また、当時マーリンズの一塁にはデレク・リーがいた。

レンジャーズ時代

2003年7月11日、テキサス・レンジャーズトレードで移籍した。

2004年のシーズン開幕前に発表されたベースボール・アメリカ誌の有望株ランキングで、ゴンザレスはレンジャーズ傘下での最高評価を受け[11]、その期待に応えるように2004年4月18日にメジャーデビュー。しかしレンジャーズの一塁にはマーク・テシェイラがいたため、ゴンザレスの出場機会は限られていた。

パドレス時代

サンディエゴ・パドレスでの現役時代
(2008年5月11日)

2006年1月6日にゴンザレスはクリス・ヤング、ターメル・スレッジとともにトレードでサンディエゴ・パドレスに移籍。パドレスが放出したのが、ビリー・キリアン、アダム・イートン大塚晶則といった3選手を放出したのに対し、レンジャーズの出した交換相手は若手主体だった。開幕前の3月に開催された第1回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)メキシコ代表に選出された[12]。同大会では全6試合中5試合に出場した。シーズンでは、控えの一塁手だった。しかし、レギュラーで起用される予定だったライアン・クレスコが左肩の故障で離脱したため、開幕から主軸として起用されることになった[13]。4月3日の開幕戦には5番・一塁で先発出場。その後も出場を続け、月間打率は4月が.256、5月が.244と低迷したが、6月6日から6月26日にかけて17試合連続安打を記録し復調。打者に極めて不利とされるペトコ・パークを本拠地球場にしているにもかかわらず、最終的にはシーズン通算で打率.304・24本塁打・82打点の成績を記録し、チーム二冠王(打率・本塁打)に輝いた。

この活躍を受けてパドレスは、2007年開幕直前の4月1日にゴンザレスとの契約を2010年まで4年総額950万ドル(2011年のオプションを含めると総額1,500万ドル)で延長している[14]。開幕からクリーンアップで起用されたゴンザレスは、シーズン全162試合が終了した時点で打率.279・29本塁打・96打点という成績を残した。本来ならこの時点でレギュラーシーズン終了だが、この年はポストシーズン進出を争っていたパドレスとコロラド・ロッキーズが同率で並んでいたためにワンゲーム・プレーオフが開催されることに。チームは8-9で敗れてポストシーズン進出を逃したものの、成績がレギュラーシーズンに含まれるこの試合でゴンザレスは満塁本塁打を含む3安打を放ち、滑り込みで成績を30本塁打・100打点の大台に乗せた。30本塁打到達は、ペトコ・パーク移転後のパドレスでは史上初だった。

2008年は全162試合に出場し、打率.279・36本塁打・119打点・OPS.871と成績を伸ばした。7月にはオールスター初選出・初出場を果たし、シーズン終了後にはゴールドグラブ賞も初受賞。エースのジェイク・ピービーの故障離脱、、正遊撃手カリル・グリーンの不振、さらにチームも地区最下位に沈んだ中で活躍した。

2009年開幕前の3月に開催された第2回WBCメキシコ代表に選出され[15]、2大会連続2度目の選出を果たした。シーズンでは、160試合に出場し、打率.277、40本塁打、99打点、OPS.958を記録。昨年同様チームは低迷したが、成績はキャリアハイを記録し、2年連続のオールスター出場。リーグトップの119四球を記録した。オフにゴールドグラブを獲得した。

2010年も30本塁打、100打点をクリアするなど、貧打に苦しむチームの中で孤軍奮闘の活躍を見せた。パドレスはシーズン最終戦でジャイアンツに敗れてプレーオフ進出を逃した。

レッドソックス時代

ボストン・レッドソックスでの現役時代
(2011年4月28日)

2010年12月6日ケイシー・ケリーらマイナー有望株3名と後日発表選手1名の合計4選手とのトレードでボストン・レッドソックスに移籍し、7年契約、年俸総額1億5400万ドルで合意した[16]

2011年は極端な打者不利とされているペトコ・パークから、打者有利と言われるフェンウェイ・パークに本拠地が移ったこともあり、打率.338、27本塁打、117打点の成績を残し打率と打点は自己最高の数字であった。年間を通して打線の核として働いたが、チームは9月以降大失速しプレーオフ進出も逃す結果になった。

2012年はオールスター終了時点で5本塁打、37打点と物足りない数字であったが、オールスター以降は好調を維持していた。しかしチームは前年以上に低迷し、ゴンザレス自身もこの年から監督に就任したボビー・バレンタインとの確執が噂されていた[17]

ドジャース時代

ロサンゼルス・ドジャースでの現役時代
(2013年4月21日)

2012年8月25日、ジョシュ・ベケットカール・クロフォードニック・プントと金銭と共に、ジェームズ・ローニー、イバン・デヘスースアレン・ウェブスターとのトレードでロサンゼルス・ドジャースへ移籍した。ドジャースからはさらに後日発表予定の2人の選手が移籍した[18]

2013年開幕前の3月に開催された第3回WBCメキシコ代表に選出され[19]、3大会連続3度目の選出を果たした。シーズンでは、157試合に出場し打率.293・22本塁打・100打点という成績を記録。4年連続で100打点以上(6度目の100打点以上)をマークし、本塁打は2年ぶりに20本を超えた。

2014年は2年ぶりとなる159試合に出場し、打率.276・27本塁打・116打点という打撃成績をマーク。シーズン終盤にマイアミ・マーリンズジャンカルロ・スタントン死球で故障離脱した事により、逆転して自身初の個人タイトルとなる打点王に輝いた。打率はレギュラー定着後で最低の数値だった。ナショナルリーグでは、初めてシルバースラッガー賞を一塁手部門で受賞した。

2015年は開幕3試合で5本塁打を記録と最高のスタートを切った。最終的には156試合に出場して打率.275・28本塁打・90打点の成績をマークした。打点は2009年以来6年ぶりに100打点を下回ったが、安定した成績でチームに貢献した[20]

2016年3月11日に第4回WBC予選のメキシコ代表に選出され[21]、4大会連続4度目の選出となった。同大会ではメキシコ代表は本戦出場を決めている。シーズンでは昨年と同じ156試合に出場し、昨年と同じ90打点を記録した。一方で4年ぶりに20本塁打を割るなど例年より低調な成績だった[20]。オフの11月1日に「侍ジャパン 野球オランダ代表 野球メキシコ代表 強化試合」のメキシコ代表に選出されたが、出場選手登録はなく、帯同のみの参加となる[22]。12月5日に第4回WBC本戦のメキシコ代表に選出された[23]

2017年2月の自主トレ期間中に肘を負傷し、WBCへの出場も危ぶまれたが出場した。しかし、大会通算で打率.083と結果を残せず、メキシコの一次ラウンド敗退の要因の一つとなった。シーズンに入ってからも低調で、4月は打率.259、本塁打0に終わった。シーズン前に負傷した肘の状態が芳しくなく、5月5日に自身初めてとなる故障者リスト入りとなった。8月18日に復帰した[24]。8月22日のパイレーツ戦で通算2000本安打を達成した[25]。故障から復帰した後も本来の打棒は影を潜め、トータルでは71試合の出場でレギュラー定着後初めて規定打席に到達せず、打率.242、3本塁打、30打点[20]は、いずれもレギュラー定着後ワーストの成績だった。

メッツ時代

2017年12月16日ブランドン・マッカーシースコット・カズミアーチャーリー・カルバーソンと共に、マット・ケンプとのトレードでアトランタ・ブレーブスへ移籍し、同日中にDFAとなった[26][27]12月18日自由契約となった[27]

2018年1月18日ニューヨーク・メッツと1年契約を結んだ。ドジャース時代の契約で2018年の年俸は2240万ドルとなっているが、メッツの負担はメジャー最低年俸の54万5000ドルのみとなり、残りはドジャースとブレーブスが支払うことになる[28]。シーズンでは開幕からレギュラーとして出場していたが、6月11日にFAとなった[29]。以後は正式な引退発表こそしていないものの、いずれのプロチームにも所属していない[30]

現役復帰

2021年3月30日、東京オリンピックメキシコ代表として出場することを目指し、リーガ・メヒカーナ・デ・ベイスボルの新球団であるグアダラハラ・マリアッチスと契約を結び、約3年ぶりに現役復帰した[31][32]

選手としての特徴

左の中距離打者で、外角球にも逆らわず速く鋭い打球が飛ばせる広角打法が持ち味である[33]

当初は選球眼が良くなくボール球に手を出すことも多いので三振も多かったが[33]2009年は改善し、初めて四球が三振を上回り、出塁率も4割を超えた。

一塁の守備には高い評価を与えられている[33]。守備範囲も広く、パドレスではウォーリー・ジョイナー以来の名手である[5]

詳細情報

年度別打撃成績

















































O
P
S
2004 TEX 16 44 42 7 10 3 0 1 16 7 0 0 0 0 2 0 0 6 0 .238 .273 .381 .654
2005 43 162 150 17 34 7 1 6 61 17 0 0 0 2 10 2 0 37 3 .227 .272 .407 .678
2006 SD 156 631 570 83 173 38 1 24 285 82 0 1 1 5 52 9 3 113 24 .304 .362 .500 .862
2007 161 720 646 101 182 46 3 30 324 100 0 0 0 6 65 9 3 140 6 .282 .347 .502 .849
2008 162 700 616 103 172 32 1 36 314 119 0 0 0 3 74 18 7 142 24 .279 .361 .510 .871
2009 160 681 552 90 153 27 2 40 304 99 1 1 1 4 119 22 5 109 23 .277 .407 .551 .958
2010 160 693 591 87 176 33 0 31 302 101 0 0 2 4 93 35 2 114 15 .298 .393 .511 .904
2011 BOS 159 715 630 108 213 45 3 27 345 117 1 0 0 5 74 20 6 119 28 .338 .410 .548 .957
2012 123 527 484 63 145 37 0 15 227 86 0 0 0 7 31 4 5 81 9 .300 .343 .469 .812
LAD 36 157 145 12 43 10 1 3 64 22 2 0 0 1 11 1 0 29 1 .297 .344 .441 .785
'12計 159 684 629 75 188 47 1 18 291 108 2 0 0 8 42 5 5 110 10 .299 .344 .463 .806
2013 157 641 583 69 171 32 0 22 269 100 1 0 0 10 47 6 1 98 12 .293 .342 .461 .803
2014 159 660 591 83 163 41 0 27 285 116 1 1 0 11 56 9 2 112 13 .276 .335 .482 .817
2015 156 643 571 76 157 33 0 28 274 90 0 1 0 3 62 10 6 107 21 .275 .350 .480 .830
2016 156 633 568 69 162 31 0 18 247 90 0 2 0 6 55 9 4 117 16 .285 .349 .435 .784
2017 71 252 231 14 56 17 0 3 82 30 0 1 0 4 16 1 0 43 7 .242 .287 .355 .642
2018 NYM 54 187 169 15 40 5 0 6 63 26 0 0 0 2 15 3 1 34 5 .237 .299 .373 .672
MLB:15年 1929 8046 7139 997 2050 437 12 317 3462 1202 6 7 4 73 782 158 45 1401 207 .287 .358 .485 .843
  • 各年度の太字はリーグ最高

年度別守備成績



一塁(1B) 右翼(RF)
























2004 TEX 11 94 6 1 13 .990 -
2005 10 85 6 2 7 .978 1 3 0 1 0 .750
2006 SD 155 1242 116 7 117 .995 -
2007 161 1470 140 10 134 .994 -
2008 161 1306 130 6 129 .996 -
2009 156 1224 136 7 116 .995 -
2010 159 1324 127 8 0 . -
2011 BOS 156 1222 125 4 106 .997 2 0 0 0 0 .---
2012 115 949 104 2 100 .998 18 18 1 2 1 .905
LAD 36 315 33 1 34 .997 -
'12計 151 1264 137 3 134 .998 18 18 1 2 1 .905
2013 151 1294 84 11 133 .992 -
2014 157 1318 118 6 118 .996 -
2015 149 1267 116 6 100 .996 -
2016 151 1105 85 2 77 .998 -
2017 60 414 31 2 41 .996 -
2018 NYM 48 333 34 1 31 .997 -
MLB 1836 14962 1391 76 1381 .995 21 21 1 3 1 .880

タイトル

  • 打点王:1回 2014年

表彰 

記録

背番号

  • 24(2004年 - 2005年)
  • 23(2006年 - 2010年、2012年途中 - 2018年)
  • 28(2011年 - 2012年途中)

代表歴

脚注

  1. ^ a b Chris Jenkins Union-Tribune Staff Writer, "Padres are model of diversity," SignOnSanDiego.com, 2009年4月15日。 2009年5月17日閲覧。
  2. ^ Ken Gurnick (2017年8月25日). “Dodgers Players Weekend nicknames explained”. MLB.comlanguage=英語. 2018年1月19日閲覧。
  3. ^ “Right Name, Wrong Genes: The Top 50 Less Talented Relatives of Superstars”. bleacherreport.com (2010年9月7日). 2012年3月25日閲覧。
  4. ^ a b 友成那智、村上雅則『メジャーリーグ・完全データ選手名鑑2009』廣済堂出版、2009年、464頁。ISBN 978-4-331-51370-5。 
  5. ^ a b Bill Center, "Happy to be home / Former Eastlake star Adrian Gonzalez welcomes trade to Padres," SignOnSanDiego.com, 2006年2月6日。 2008年11月15日閲覧。
  6. ^ a b 三浦勝夫 「連載企画 カルトヒーローを探せ/パドレス編 エイドリアン・ゴンザレス」 『月刊スラッガー』2008年7月号、日本スポーツ企画出版社、2008年、雑誌15509-7、67-69頁。
  7. ^ 福島良一 「ミレニアム・ドラフト指名選手の実力」 『月刊メジャー・リーグ』2000年8月号、ベースボール・マガジン社、2000年、雑誌08625-8、72頁。
  8. ^ Andrew Seidler, "Cougars' milestone on deck," The Chronicle, 2008年8月26日。 2009年5月17日閲覧。
  9. ^ Jamey Newberg (2007年7月5日). “Swapping Stories: The Urbina trade / Timing is key when it comes to both sides of acquisitions”. MLB.com. 2018年1月19日閲覧。
  10. ^ 友成那智、村上雅則『メジャーリーグ・完全データ選手名鑑2005』廣済堂出版、2005年、200頁。ISBN 978-4-331-51093-3。 
  11. ^ "Top 10 Prospects: Complete Index," Baseball America. 2009年5月17日閲覧。
  12. ^ 2006 Tournament Roster The official site of World Baseball Classic (英語) 2015年8月12日閲覧 [リンク切れ]
  13. ^ 友成那智、村上雅則『メジャーリーグ・完全データ選手名鑑2007』廣済堂出版、2007年、399頁。ISBN 978-4-331-51213-5。 
  14. ^ Associated Press, "Gonzalez agrees to 4-year deal with Padres," ESPN.com, 2007年4月1日。 2008年11月15日閲覧。
  15. ^ 2009 Tournament Roster The official site of World Baseball Classic (英語) 2015年8月12日閲覧 [リンク切れ]
  16. ^ Tim Dierkes (2010年12月6日). “Red Sox Acquire Adrian Gonzalez” (英語). MLB Trade Rumors. 2017年12月18日閲覧。
  17. ^ 反ボビー派一掃…レッドソックス ベケットら主力4人放出,スポーツニッポン、2012年8月24日閲覧
  18. ^ Mike Axisa (2012年8月25日). “Red Sox, Dodgers Complete Nine-Player Blockbuster” (英語). MLB Trade Rumors. 2017年12月18日閲覧。
  19. ^ 2013 Tournament Roster The official site of World Baseball Classic (英語) 2015年8月12日閲覧 [リンク切れ]
  20. ^ a b c Baseball-Reference参照。2017年12月19日閲覧。
  21. ^ “Managers, rosters and game schedules announced for the Mexicali and Panama City WBC Qualifiers” (英語). MLB.com (2016年3月11日). 2017年12月18日閲覧。
  22. ^ 侍ジャパン 強化試合 メキシコ代表、オランダ代表 追加選手のお知らせ 野球日本代表 侍ジャパン オフィシャルサイト (2016年11月1日) 2016年11月11日閲覧
  23. ^ “24 All-Stars among initial confirmed players for 2017 World Baseball Classic” (英語). MLB.com (2016年12月5日). 2017年12月17日閲覧。
  24. ^ Jordan Horrobin (2017年8月19日). “LA gets Adrian back, starts him at first for now” (英語). MLB.com. 2017年12月18日閲覧。
  25. ^ Ken Gurnick (2017年8月23日). “A-Gon's double career hit No. 2,000” (英語). MLB.com. 2017年12月18日閲覧。
  26. ^ “Braves & Dodgers complete 5-player trade” (英語). MLB.com (2017年12月16日). 2017年12月17日閲覧。
  27. ^ a b MLB公式プロフィール参照。2017年12月19日閲覧。
  28. ^ Anthony DiComo (2018年1月18日). “Mets sign A-Gon to one-year deal” (英語). MLB.com. 2018年1月19日閲覧。
  29. ^ Anthony DiComo (2018年6月11日). “Mets release first baseman Adrian Gonzalez” (英語). MLB.com. 2018年6月12日閲覧。
  30. ^ “通算317発ゴンザレス、東京五輪出場へ意欲満々 NPB移籍は「魅力」”. Full-Count (2020年6月6日). 2021年6月16日閲覧。
  31. ^ Katherine Acquavella (2021年3月31日). “Former All-Star Adrian Gonzalez signs with Mexican League, aiming for spot on Mexico's Olympic team”. CBS Sports. 2021年6月16日閲覧。
  32. ^ “球宴5度選出のゴンザレス、東京五輪目指し現役復帰”. 日刊スポーツ (2021年3月31日). 2021年6月16日閲覧。
  33. ^ a b c “Adrian Gonzalez - San Diego Padres - Sportsnet.ca”. 2008年2月11日閲覧。

関連項目

外部リンク

ウィキメディア・コモンズには、エイドリアン・ゴンザレスに関連するカテゴリがあります。

  • 選手の通算成績と情報 MLB、ESPN、Baseball-Reference、Fangraphs、The Baseball Cube、Baseball-Reference (Register)
  • Adrian Gonzalez stats MiLB.com (英語)
  • Adrian Gonzalez (@AdrianTitan23) - X(旧Twitter)
  • Adrián González (@adrian_eltitan) - Instagram
  • Official site for San Diego Padres First Baseman Adrian Gonzalez
 
業績
ナショナルリーグ打点王
1870年代
1880年代
1890年代
1900年代
1910年代
1920年代
1930年代
1940年代
1950年代
1960年代
1970年代
1980年代
1990年代
2000年代
2010年代
2020年代
1980年代
1990年代
2000年代
2010年代
2020年代
  • 捕手
  • 二塁手
  • 三塁手
  • 遊撃手
  • 外野手
  • 指名打者
1980年代
1990年代
2000年代
2010年代
2020年代
  • 投手
  • 捕手
  • 二塁手
  • 三塁手
  • 遊撃手
  • 外野手
1950年代
1960年代
  • 60 ビル・ホワイト(英語版)
  • 61 ビル・ホワイト(英語版)
  • 62 ビル・ホワイト(英語版)
  • 63 ビル・ホワイト(英語版)
  • 64 ビル・ホワイト(英語版)
  • 65 ビル・ホワイト(英語版)
  • 66 ビル・ホワイト(英語版)
  • 67 ウェス・パーカー
  • 68 ウェス・パーカー
  • 69 ウェス・パーカー
1970年代
1980年代
1990年代
2000年代
2010年代
2020年代
  • 投手
  • 捕手
  • 二塁手
  • 三塁手
  • 遊撃手
  • 外野手
1950年代
  • 58 ビック・パワー(英語版)
  • 59 ビック・パワー(英語版)
1960年代
1970年代
  • 70 ジム・スペンサー(英語版)
  • 71 ジョージ・スコット
  • 72 ジョージ・スコット
  • 73 ジョージ・スコット
  • 74 ジョージ・スコット
  • 75 ジョージ・スコット
  • 76 ジョージ・スコット
  • 77 ジム・スペンサー(英語版)
  • 78 クリス・チャンブリス
  • 79 セシル・クーパー
1980年代
1990年代
2000年代
2010年代
2020年代
  • 投手
  • 捕手
  • 二塁手
  • 三塁手
  • 遊撃手
  • 外野手
2000年代
2010年代
2020年代
  • 投手
  • 捕手
  • 一塁手
  • 二塁手
  • 三塁手
  • 遊撃手
  • 左翼手
  • 中堅手
  • 右翼手
  • マルチポジション
 
メキシコの旗 メキシコ代表
メキシコの旗 野球メキシコ代表 - 2006 ワールド・ベースボール・クラシック
監督

31 フランシスコ・エストラーダ

コーチ
投手
捕手
内野手
外野手
メキシコの旗 野球メキシコ代表 - 2009 ワールド・ベースボール・クラシック
監督
コーチ
投手
捕手
内野手
外野手
メキシコの旗 野球メキシコ代表 - 2013 ワールド・ベースボール・クラシック
監督
コーチ
投手
捕手
内野手
外野手
メキシコの旗 野球メキシコ代表 - 2017 ワールド・ベースボール・クラシック
監督
  • 9 エドガー・ゴンザレス
コーチ
投手
捕手
内野手
外野手
 
予選ロースター
監督
  • エドガー・ゴンザレス
コーチ
投手
  • アルマンド・アギラール
  • アンドレス・アビラ
  • アルトゥーロ・バラダス
  • カルロス・ブスタマンテ
  • カルロス・フィッシャー
  • ジオバニー・ガジェゴス
  • ヘスス・ガルシア
  • スティーブン・ランダズリ
  • オリバー・ペレス
  • ダニエル・ロドリゲス
  • ジェイク・サンチェス
  • マーク・セラーノ
  • ハビエル・ソラーノ
  • アレハンドロ・ソト
捕手
内野手
外野手
メキシコの旗 野球メキシコ代表 - 2020 東京五輪
監督
コーチ
  • 8 ノエ・ムニョス(ベンチ)
  • 26 ヘクター・エストラーダ
  • 47 リゴ・ベルトラン
  • 56 ホセ・シルバ
投手
捕手
内野手
外野手
1960年代
1970年代
1980年代
1990年代
2000年代
2010年代
2020年代
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