カトリック両王

スペインの歴史
スペイン国章
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先史時代(英語版)
近世
カトリック両王 1474-1504
黄金世紀 1492-1681
アブスブルゴ朝 1504-1700
イベリア連合 1580-1640
ボルボン朝 1700-現在
近代
半島戦争 1808-1814
 • ホセ1世の治世 1808-1813
 • 最高中央評議会 1808-1810
 • カディス・コルテス 1810-1814
フェルナンド7世の治世 1814-1833
 • 絶対主義の六年間 1814-1820
 • 自由主義の三年間 1820-1823
 • 忌むべき十年間 1823-1833
イサベル2世の治世(英語版) 1833-1868
 • カルリスタ戦争 1833-1876
 • 穏健派の十年間(英語版) 1844-1854
 • 進歩派の二年間(英語版) 1854-1856
 • 自由主義連合政府(英語版) 1856-1863
 • 1868年革命(スペイン語版) 1868
民主主義の六年間(英語版) 1868-1874
 • 臨時政府 1868-1871
 • アマデオ1世の治世(スペイン語版) 1871-1873
 • 第一共和政 1873-1874
王政復古 1874-1931
 • プリモ・デ・リベラの独裁(スペイン語版) 1923-1930
現代
第二共和政 1931-1939
 • 改革主義の二年間(スペイン語版) 1931-1933
 • 暗い二年間(スペイン語版) 1933-1936
 • 人民戦線政府 1936-1939
 • スペイン内戦 1936-1939
フランコ体制 1939-1975
 • 第二次世界大戦 1939-1945
 • 亡命政府(英語版) 1939-1977
フアン・カルロス1世の治世(スペイン語版) 1975-2014
 • 民政移管(英語版) 1975-1982
フェリペ6世の治世(スペイン語版) 2014-現在

スペイン ポータル

カトリック両王(カトリックりょうおう、スペイン語: Reyes Católicos)は、歴史的にアラゴン王フェルナンド2世(Fernando el Católico)とカスティーリャ女王イサベル1世(Isabel la Católica)を指す。彼らは1469年に結婚し、後に彼らの子孫の下で王朝連合国家としてのスペイン王国が成立する。カトリック王の称号はローマ教皇アレクサンデル6世によって授けられた。

両王の統治時代はレコンキスタの末期であり、また2人が出資したクリストファー・コロンブス西半球新世界の発見により、その統治は更に強固になった。スペインはローマ・カトリックの保護者となり、カトリックの護持のために対抗改革や、植民地先住民に対する布教などの主導者となった。国内的にはイスラム教徒ユダヤ教徒に対する弾圧を行ったため、現在ではスペイン・イスラーム文明の豊かな資本を破壊し、その後の新大陸での蛮行や、スペイン没落に通ずる道を開いたのだと批判する学者もいる。

なお、現在のスペイン王室は両王の次女フアナ[1]と三女マリア[2]の血統にあたる。

脚注

  1. ^ カルロス1世の母、フェリペ2世の祖母。
  2. ^ カルロス1世妃イサベルの母、フェリペ2世の祖母。
皇族王族君主に対して用いられる敬称
君主に対して
  • 皇帝にして国王陛下 (HI&RM)
  • 皇帝陛下 (HIM)
  • 国王陛下 (HRM)
  • 使徒陛下 (HAM)
  • カトリック両王陛下
  • カトリック王陛下 (HCM)
  • 至高のキリスト教陛下 (HMCM)
  • 最も忠実なる陛下 (HFM)
  • 信仰の擁護者 (FD)
  • イギリス国王陛下 (HBM)
  • 最も優れた陛下
  • 最も慈悲深き陛下
  • 陛下 (HM)
  • 猊下 (HG)
  • 王子殿下 (HRH)
  • 高貴なる殿下 (HEH)
  • 殿下 (HH)
  • 枢機卿猊下 (HMEH)
  • 大公殿下 (HSH)
  • 輝かしい殿下 (HIll.H)
Imperial Crown of Austria
君主以外の
皇族や王族に対して
  • 皇子にして王子殿下 (HI&RH)
  • 皇子殿下 (HIH)
  • 王子殿下 (HRH)
  • 大公子殿下 (HGDH)
  • 殿下 (HH)
  • 公子殿下 (HDSH)
  • 公子殿下 (HSH)
  • 猊下 (HG)
  • 閣下 (HE)
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