チャールズ・ホイートストン
チャールズ・ホイートストン | |
---|---|
生誕 | (1802-02-06) 1802年2月6日 イギリス, グロスター |
死没 | 1875年10月19日(1875-10-19)(73歳) フランス, パリ |
居住 | イギリス |
国籍 | イギリス |
研究分野 | 電気工学, 物理学 |
研究機関 | キングス・カレッジ・ロンドン |
主な業績 | ホイートストンブリッジ、コンサーティーナ |
主な受賞歴 | ロイヤル・メダル(1840, 1843) コプリ・メダル(1868) |
補足 | |
オリヴァー・ヘヴィサイドの叔父 | |
プロジェクト:人物伝 | |
テンプレートを表示 |
サー・チャールズ・ホイートストン(Sir Charles Wheatstone、1802年2月6日 - 1875年10月19日)は、イギリスの物理学者である。
生涯
父は楽器職人で、ホイートストンも1823年から1834年までロンドンでその仕事を学んだ。キングス・カレッジ・ロンドンの実験物理学の教授になり、1828年、アコーディオンに似た楽器のコンサーティーナを発明した(その後細分化され、彼が発明したものは「イングリッシュコンサーティーナ」と呼ばれる。)。1833年に音響の研究を発表している。1836年には王立協会フェローに選出[1]。最初は音の伝播や固有振動、楽器など音響の研究をしていた。
1833年、サミュエル・ハンター・クリスティーが発明した電気抵抗の測定法を改良した。これは後にホイートストンブリッジと呼ばれることになり、広く用いられている。1833年、ステレオ・スコープを発明した。1834年、電線中の電流の速度をはじめて測定した。1840年、連続的に電気抵抗を変化させることのできるレオスタットを発明した。その後、電気技術者のウィリアム・クックと協力して電信の開発を行った。1836年に5針式電信機を発明し、翌年ロンドンのオーストン駅とカムデンタウン間で試験が行われ、後に鉄道の分野で用いられた。
1854年、「プレイフェア暗号」を考案した。友人のプレイフェア卿と趣味でやりとりするのに使われたもので、プレイフェア卿の名前で呼ばれる。
主な受賞歴
- 1840年と1843年 ロイヤル・メダル
- 1843年と1852年 ベーカリアン・メダル
- 1868年 コプリ・メダル
出典
[脚注の使い方]
- ^ "Wheatstone; Sir; Charles (1802 - 1875)". Record (英語). The Royal Society. 2011年12月11日閲覧。
関連項目
外部リンク
- Charles Wheatstone(英文サイト)
| |||||
---|---|---|---|---|---|
通信 | |||||
有線電気通信/有線放送 | |||||
無線通信/放送 | |||||
歴史 | |||||
人物 |
| ||||
伝送媒体 |
| ||||
スイッチング | |||||
多重化 | |||||
ネットワーク(英語版) |