ナーブルス

ナーブルス
نابلس
2022年
2022年
位置
ナーブルスの位置(パレスチナ自治区内)
ナーブルス
ナーブルス
ナーブルス (パレスチナ自治区)
座標 : 北緯32度13分13秒 東経35度16分44秒 / 北緯32.22028度 東経35.27889度 / 32.22028; 35.27889
行政
パレスチナ国の旗 パレスチナ
 地区 ヨルダン川西岸地区
  ナーブルス県
 市 ナーブルス
地理
面積  
  市域 28.4 km2
人口
人口 2017年現在)
  市域 156,906人
    人口密度   5,525人/km2
  備考 [1]
その他
等時帯 パレスチナ時間 (UTC+2)
夏時間 パレスチナ夏時間 (UTC+3)
公式ウェブサイト : www.nablus.org

ナーブルスNāblusNābulusアラビア語: نابلسNāblus [næːblʊs] ( 音声ファイル)ヘブライ語: שכםŠəḵem)は、パレスチナ自治区ヨルダン川西岸地区北部のナーブルス県の県都。 2017年国勢調査によると人口は約15.7万人。 ゲリジム山エバル山の間にある。 市内とゲリジム山麓の村にはサマリア人社会がある。 ユダヤ教の隠れた聖地の一つでもある。

人口

歴史

シェケム

詳細は「シェケム」を参照

ヘブライ聖書にはシェケム(en:Shechem、シケム、シェヘム)として登場する。また、現代ヘブライ語でも、アラビア語でナーブルスに相当する地名をシェケムという。

ナーブルス

72年ティトゥス帝によりフラウィア・ネアポリス(Flavia Neapolis)と改称され、これが、ナーブルスという呼称の起源となった。ローマ帝国がこの地を治めたのち、イスラーム勢力が支配した。

1099年より十字軍による街の支配が90年近く続き、イスラム教徒、キリスト教徒、サマリア人などが街に同居した。1187年アイユーブ朝サラディンの軍隊がパレスチナ地区を支配すると、イスラムの戒律が再び整備され、後に続くマムルーク朝オスマン帝国へと引き継がれた。

第二次世界大戦後はヨルダンの統治下にあったが、1967年の第三次中東戦争よりイスラエルの統治下に移った。1995年のパレスチナ自治拡大協定によりパレスチナ自治政府のもとにおかれた。2003年、ナーブルスでハマス幹部がイスラエルに暗殺されたことは、イスラエル政府とパレスチナの対立を激化させた。

建築物

  • ヤコブの井戸
  • ヨセフの墓(en:Joseph's Tomb) - 1967年以来、ムスリムによる礼拝はイスラエル軍により禁止された。また近年、イスラエル人による強行礼拝が問題となっている。
  • サマリア人コミュニティーと、ゲリジム山の神殿跡
  • ゲリジム山
  • エバル山
ナーブルスの街並

姉妹都市

関連項目

脚注

  1. ^ “Nabulus”. Citypopulation (2023年8月2日). 2023年11月14日閲覧。

外部リンク

ウィキメディア・コモンズには、ナーブルスに関連するカテゴリがあります。
  • Official Nāblus website
  • JewishEncyclopedia
  • Gerizim - JewishEncyclopedia
  • Nāblus article from the "Jewish virtual library"
  • Christianity in Nāblus
  • Palestine Securities Exchange
  • A site explaining the reasons for the devastated Palestinian economy
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