ニーナ・ラドイチッチ

ニーナ
Нина
出生名 ダニツァ・ラドイチッチ
生誕 ユーゴスラビア社会主義連邦共和国の旗 ユーゴスラビアセルビア社会主義共和国ベオグラード(現セルビア共和国
(1989-05-27) 1989年5月27日(34歳)
出身地 セルビアの旗 セルビア
職業 歌手
活動期間 2011年 -

ダニツァ・ラドイチッチセルビア語:Даница Радојчић / Danica Radojčić、1989年5月27日 - )、芸名:ニーナНина / Nina)は、セルビアの歌手である。ラドイチッチは同年5月にドイツデュッセルドルフで行われるユーロビジョン・ソング・コンテスト2011セルビア代表として参加した。

セルビアの首都・ベオグラードに生まれたダニツァ・ラドイチッチは、幼い頃より音楽への関心が高く、6歳のころより音楽学校に通いはじめる。その後音楽学校に通いながら中等学校を卒業し、大学で薬学を学んでいる[1]

子どもの頃から児童文化センターなどを通じて音楽活動をしており、音楽祭「ズラトナ・シレナ(金の角)」では3度の優勝と特別賞を受賞している。2003年以降、歌手や作曲家として国内外で各種の音楽祭に参加を続け、イギリスでの「コヴェントリー・ピース・マンス(Coventry Peace Month)」にも参加した。ブルガリアで行われた「スレブルナ・ヤントラ(Srebrna Jantra)」では歌手として優勝を収めている[1]

2010年2月、「リーガル・セックス・デパートメント(Legal Sex Department)」というバンドを結成した[1]

2011年2月、セルビア国営放送によるユーロビジョン・ソング・コンテスト201のセルビア代表選考に参加し、クリスティーナ・コヴァチュ作曲の「Čaroban」を歌って優勝を収めた [2][3]。ユーロビジョン・ソング・コンテスト本戦では、準決勝を6位で通過し、決勝では14位となった。

脚注

  1. ^ a b c “Biografije - Izvođači”. セルビア国営放送 (2011年2月16日). 2011年2月28日閲覧。
  2. ^ “Nina ide u Diseldorf”. セルビア国営放送. (2011年2月26日). http://www.rts.rs/page/rts/sr/pesma+evrovizije/%D0%9F%D0%B5%D1%81%D0%BC%D0%B0+%D0%95%D0%B2%D1%80%D0%BE%D0%B2%D0%B8%D0%B7%D0%B8%D1%98%D0%B5+2011/story/1562/Vesti/849628/Nina+ide+u+Diseldorf.html 2011年2月26日閲覧。 
  3. ^ “Nina Radojčić predstavnik Srbije na "Evroviziji"”. G. Srdanov (ブリツ). (2011年2月26日). オリジナルの2011年3月3日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20110303140809/http://www.blic.rs/Zabava/Vesti/238106/Poceo-srpski-izbor-za-Evroviziju 2011年2月26日閲覧。 
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