バルバラ・デ・ブラガンサ

バルバラ・デ・ブラガンサ
Bárbara de Bragança
スペイン王妃
1729年頃
在位 1746年7月9日 - 1758年8月27日

全名 María Magdalena Bárbara Xavier Leonor Teresa Antonia Josefa de Bragança
出生 1711年12月4日
ポルトガル王国リスボン
死去 (1758-08-27) 1758年8月27日(46歳没)
スペイン帝国アランフエス
埋葬 スペイン帝国マドリード、サレサス・レアレス修道院
結婚 1729年1月19日 カイア川
配偶者 スペイン王フェルナンド6世
家名 ブラガンサ家
父親 ポルトガル王ジョアン5世
母親 マリア・アンナ・ヨーゼファ・フォン・エスターライヒ
宗教 ローマ・カトリック
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マリーア・マグダレナ・バールバラ・ハビエル・レオノール・テレサ・アントニア・ホセファ・デ・ブラガンサ(María Magdalena Bárbara Xavier Leonor Teresa Antonia Josefa de Bragança, 1711年12月4日 - 1758年8月27日)は、スペイン王フェルナンド6世の王妃。バルバラ・デ・ブラガンサとして知られる。

生涯

1725年

ポルトガル王ジョアン5世と王妃マリア・アナは、結婚後3年たっても子供に恵まれなかった。そのためジョアンは、後継者となる子供を授かったら神に感謝の印として修道院を創設すると約束した。その後生まれたのがバルバラだった。バルバラは良い教育を受け、音楽を愛した。彼女は当時有名な作曲家、チェンバロ奏者であったドメニコ・スカルラッティに教えを受けた。

1729年、バルバラは2歳年下のフェルナンドと結婚した。スカルラッティはバルバラに同行してマドリードへ永住し、彼女のために100曲ものチェンバロ・ソナタを作曲した。

バルバラは決して美女とは言えず、初対面でフェルナンドがショックを受けたという噂すら流れた。しかし、2人は音楽という共通の趣味で結ばれた仲の良い夫婦となった。バルバラの死でフェルナンドは悲嘆に暮れたという。2人には子供がなかった。

バルバラは生涯を通じて喘息に苦しみ、アランフエスで亡くなった。

スペイン王国旗スペイン正配(王妃・王配)スペイン王国章
アブスブルゴ朝
ボルボン朝
ボナパルテ朝
ボルボン朝
サボヤ朝

第一共和政 1873-1874

ボルボン朝

マリア・デ・ラス・メルセデス・デ・オルレアンス 1874-1885 / マリア・クリスティーナ・デ・アブスブルゴ=ロレーナ / ビクトリア・エウヘニア・デ・バッテンベルグ

第二共和政 1931-1939

フランコ体制 1939-1975

ボルボン朝

ソフィア・デ・グレシア 1975-2014 / レティシア・オルティス 2014-現在

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