パトモス島の聖ヨハネのいる風景

『パトモス島の聖ヨハネのいる風景』
フランス語: Paysage avec saint Jean à Patmos
英語: Landscape with Saint John on Patmos
作者ニコラ・プッサン
製作年1640年
種類キャンバス油彩
寸法100.3 cm × 136.4 cm (39.5 in × 53.7 in)
所蔵シカゴ美術館シカゴ

パトモス島の聖ヨハネのいる風景』(パトモスとうのせいヨハネのいるふうけい、: Paysage avec saint Jean à Patmos: Landscape with Saint John on Patmos)は、17世紀フランスの巨匠ニコラ・プッサンによる福音書記者聖ヨハネを描いた風景画である。キャンバス上に油彩で制作されている。1640年にローマで描かれた作品であるが、その後、数々の所有者を経て、1930年にシカゴ美術館に売却された[1]

本作は元来、1640年にローマでジャン・マリア・ロッシオーリ (Gian Maria Roschioli) のために、現在ベルリン絵画館にある『聖マタイのいる風景』の対作品として描かれた作品である[2]。本来、聖マルコ聖ルカも含めて4人の福音書記者をそれぞれ描く連作の一部であったのかもしれない[1]

ローマ帝国の第11代皇帝ドミティアヌスの迫害を受けたヨハネは、小アジアに近い島パトモスに追放され、そこで『黙示録』を著すことになった。本作前景の廃墟の前に座っているヨハネは目下、この書を執筆中である。初期ネーデルラント絵画の巨匠ヒエロニムス・ボスの『パトモス島の聖ヨハネ』 (ベルリン絵画館) と比較すると、聖母マリアの幻想を見るシーンではなく、執筆し思考しているところが描かれており、それが本作の特徴である。福音書記者聖ヨハネの伝統的なアトリビュートである鷲が画面右に描かれている[2]

本作の対作品である『聖マタイのいる風景』では蛇行する河を導入し、それにより明暗部分が織りなす実験的性格を示している。それに対し、本作では地面の描写が堅牢に確立し、安定感のある古典主義的な作風となっている[2]。消えた古代世界の栄光を示すため、プッサンはヨハネのために慎重に理想的世界を構築している。その世界にはオベリスク、寺院、柱の残骸が見えるが、そうした人間の作った建築物と自然の形体は幾何学と論理に適合させられ、計測された秩序を示している[1]。実際、岩塊や樹々の描写は様式的にきわめてキュビスム的である[2]。ヨハネの横顔でさえも古典主義的風景と調和をなしている[1]

以後のプッサンの作品には、『ポリュペーモスのいる風景』(エルミタージュ美術館)、『日の出を探す盲目のオリオン』(メトロポリタン美術館) などに見られるように、こうした書割の中にさまざまなドラマが描かれることになる[2]

参考作品

  • ニコラ・プッサン『聖マタイのいる風景』、1640年 (ベルリン絵画館)
    ニコラ・プッサン『聖マタイのいる風景』、1640年 (ベルリン絵画館)
  • ヒエロニムス・ボス、『パトモス島の聖ヨハネ』 (ベルリン絵画館)
    ヒエロニムス・ボス、『パトモス島の聖ヨハネ』 (ベルリン絵画館)

脚注

  1. ^ a b c d “Landscape with Saint John on Patmos”. シカゴ美術館 公式サイト (英語). 2023年5月31日閲覧。
  2. ^ a b c d e 『カンヴァス世界の大画家 14 プッサン』、1984年、75頁。

参考文献

外部リンク

  • シカゴ美術館公式サイト、ニコラ・プッサン『パトモス島の聖ヨハネのいる風景』 (英語)
宗教画

『幼児虐殺』(1625-1632年)  ·アシドドのペスト』(1628-1630年)  ·黄金の子牛の礼拝』(1633-1634年)  · 『マナの収集』(1638-1639年)

神話画・歴史画

ゲルマニクスの死』(1627年)  ·詩人の霊感』(1629-1630年頃)  · 『パルナッソス』(1631-1633年)  · 『サビニの女たちの掠奪』(1633-1634年)  ·人生の踊り』(1634-1636年頃)  ·我アルカディアにもあり』(1637-1638年頃)

風景画

『パトモス島の聖ヨハネのいる風景』(1640年)  ·ポリュペーモスのいる風景』(1649年)  ·オルフェウスとエウリュディケーのいる風景』(1650年頃)  ·日の出を探す盲目のオリオン』(1658年)