フリードリヒ2世オイゲン (ヴュルテンベルク公)

フリードリヒ2世オイゲン
Friedrich II. Eugen
ヴュルテンベルク
在位 1795年5月20日 - 1797年12月23日

出生 (1732-01-21) 1732年1月21日
シュトゥットガルト
死去 (1797-12-23) 1797年12月23日(65歳没)
ホーエンハイム
配偶者 フリーデリケ・ドロテア・ゾフィア・フォン・ブランデンブルク=シュヴェート
子女 一覧参照
家名 ヴュルテンベルク家
父親 ヴュルテンベルク公カール・アレクサンダー
母親 マリー=アウグステ・フォン・トゥルン・ウント・タクシス
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フリードリヒ2世オイゲン

フリードリヒ2世オイゲンFriedrich II. Eugen, 1732年1月21日 - 1797年12月23日)は、ヴュルテンベルク公(在位:1795年 - 1797年)。ヴュルテンベルク公カール・アレクサンダーと妃マリア・アウグスタ・フォン・トゥルン・ウント・タクシスの四男として、シュトゥットガルトで生まれた。カール・オイゲン公、ルートヴィヒ・オイゲン公の弟にあたる。

1795年、次兄ルートヴィヒ・オイゲンの急死により公位を継いだが2年後に急死、長男のフリードリヒ3世が後を継いだ。

家族

フリーデリケ・ドロテア・ゾフィアホーエンツォレルン家傍系のブランデンブルク=シュヴェート辺境伯フリードリヒ・ヴィルヘルムの娘、フリードリヒ・ヴィルヘルム大選帝侯の曾孫)との間に12子をもうけた。

  • フリードリヒ1世(1754年 - 1816年) - ヴュルテンベルク公としてはフリードリヒ3世、後に初代ヴュルテンベルク王となった。
  • ルートヴィヒ(1756年 - 1817年)
  • オイゲン(1758年 - 1822年)
  • ゾフィー・ドロテア(1759年 - 1828年) - ロシア皇帝パーヴェル1世の皇后。ロシア語名マリア・フョードロヴナ
  • ヴィルヘルム(1761年 - 1830年)
  • フェルディナント(1763年 - 1834年)
  • フリーデリケ(1765年 - 1785年) - オルデンブルク大公ペーター1世の妃
  • エリーザベト(1767年 - 1790年) - 神聖ローマ皇帝フランツ2世の最初の妃(夫の即位前に死去)
  • ヴィルヘルミーネ(1768年、夭折)
  • カール(1770年 - 1791年)
  • アレクサンダー(1771年 - 1833年)
  • ハインリヒ(1772年 - 1833年) - 1798年にカロリーナ・アレクセイ(1779年 - 1853年、ウラッハ伯夫人)と貴賤結婚
先代
ルートヴィヒ・オイゲン
ヴュルテンベルク公
1795年 - 1797年
次代
フリードリヒ3世
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