プリビロフ諸島

プリビロフ諸島
現地名:
Pribilof Islands
プリビロフ諸島の地図
プリビロフ諸島の位置(アラスカ州内)
プリビロフ諸島

プリビロフ諸島の位置
地理
場所 ベーリング海
座標 北緯56度50分 西経170度00分 / 北緯56.833度 西経170.000度 / 56.833; -170.000座標: 北緯56度50分 西経170度00分 / 北緯56.833度 西経170.000度 / 56.833; -170.000
島数 4
主要な島 セントポール島、セントジョージ島
面積 194.44 km2 (75.07 sq mi)
行政
アラスカ州旗 アラスカ州
非自治郡
最大都市 セントポール(人口532人)
人口統計
人口 684人
追加情報
時間帯
 • 夏時間(DST
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プリビロフ諸島: Pribilof Islands)は、ベーリング海に浮かぶ4つの火山島からなる。アラスカ州のニューエナム岬(Cape Newenham)の南西およそ320 km、アリューシャン列島ウナラスカの北およそ320 kmに位置する。面積約200km2ツンドラに覆われた岩がちな島々で、全体がアラスカ沿岸国立野生生物保護区に含まれている。アメリカ合衆国アラスカ州に属し、人口684人(2000年)である。

島々

主要な島はセントポール島とセントジョージ島で、セントポール島の近くにオッター島とウォルラス島(英語版)という小さな無人島がある。

セントポール島は、発見された日が聖ペテロ・パウロの祭日(6月29日)だったことにちなんだ命名。人口532人、ズワイガニオヒョウの漁獲に大きく依存している。アメリカ沿岸警備隊の基地がありかつてはLORAN-Cの主局が運用されていたが、GPSの普及によって廃止された。アメリカ国立気象局の観測所がある。

セントジョージ島はガブリール・プリビロフの船の名にちなんでいると思われる[1]。人口152人で、アレウト族の居住地となっている。

歴史

  • 1767年 - ジョアン・シンドにより発見された。
  • 1788年 - ガブリール・プリビロフ(英語版)が訪れ、オットセイの営巣地であることを発見した。ロシア領となる。
  • 寛政7年(1795年)4月末 - 津太夫善六ら若宮丸漂流民15名がオホーツクに送還される途中で2日間滞在する。
  • 1867年 - アラスカと共にアメリカ領となった。
  • 1870年から1890年まで、アメリカ政府はこの島をアラスカ商事会社(英語版)に貸した。
  • 1890年から1910年まで、北アメリカ商事会社(英語版)がこの島でのオットセイ狩りを独占した。
  • 1911年 - 膃肭獣保護条約により猟獲が制限されるようになった。
  • 1966年 - オットセイ法[2]が施行され、原住民アレウト族による伝統的猟を例外に狩猟は禁止された。

オットセイ

1913年古生物学者ロイ・チャップマン・アンドリューススクーナーAdventuressの処女航海でこの地を訪問。彼が撮影した映像によってオットセイの保護運動が盛んになった。アメリカ合衆国国定歴史建造物地区に指定されている。

参考文献

  1. ^ Chisholm, Hugh, ed. (1911). "Pribilof Islands" . Encyclopædia Britannica (英語) (11th ed.). Cambridge University Press.
  2. ^ Fur Seal Act of 1966 (16 U.S.C. 1151-1187, P.L. 89-702, November 2, 1966, 80 Stat. 1091)

関連項目


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