マリオ・ベレッタ

マリオ・ベレッタ
名前
ラテン文字 Mario Beretta
基本情報
国籍 イタリアの旗 イタリア
生年月日 (1959-10-30) 1959年10月30日(64歳)
出身地 ミラノ
選手情報
ポジション FW
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1976-1977 イタリアの旗 プロ・セスト
1977-1979 イタリアの旗 ロヴェッラースカ
監督歴
1982-1984 イタリアの旗 アッビアテグラッソ(イタリア語版)(ユース)
1984-1989 イタリアの旗 モンツァ(ユース)
1989-1991 イタリアの旗 コモ(ユース)
1991-1994 イタリアの旗 モンツァ(ユース)
1994-1995 イタリアの旗 コルシコ(イタリア語版)
1995-1996 イタリアの旗 プロ・パトリア
1996-1997 イタリアの旗 サロンノ(イタリア語版)
1997-1998 イタリアの旗 コモ
1998-1999 イタリアの旗 ルメッツァーネ
1999-2002 イタリアの旗 ヴァレーゼ
2002-2004 イタリアの旗 テルナーナ
2004-2005 イタリアの旗 キエーヴォ
2005-2006 イタリアの旗 パルマ
2006-2008 イタリアの旗 シエーナ
2008-2009 イタリアの旗 レッチェ
2009-2010 イタリアの旗 トリノ
2010 ギリシャの旗 PAOK
2010-2011 イタリアの旗 ブレシア
2012 イタリアの旗 チェゼーナ
2013-2014 イタリアの旗 シエーナ
2014 イタリアの旗 ラティーナ
2015-2018 イタリアの旗 カリアリ(ユース)
1. 国内リーグ戦に限る。2015年1月9日現在。
■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj

マリオ・ベレッタMario Beretta, 1959年10月30日 - )は、イタリアロンバルディア州ミラノ県ミラノ出身の元サッカー選手、現サッカー指導者。現役時代のポジションはFW。数々のプロヴィンチャでリーグ残留を勝ち取っている。

経歴

1982年、当時セリエDに所属していたACプロ・セストで選手としてプレーした後、指導者に転向。アマチュアクラブでの監督を続けた後、1995年には、当時セリエC2に所属していたプロ・パトリアで、プロクラブチームの監督としてのキャリアをスタートさせる。

以降、サロンノ、コモルメッツァーネヴァレーゼ(いずれもセリエC1)を指導し、2002年にはテルナーナでセリエB、2004年にはキエーヴォでセリエAへデビュー。指導者として着実にステップアップの道を歩む。

2005年パルマACの監督に就任すると、シーズン前半は成績不振で苦しんだものの、シーズン後半はクラブを軌道に乗せることに成功し、4節を残して残留を決めた。さらにカルチョ・スキャンダルの影響もあり、最終的にはUEFAカップの出場権を得ることにも成功した。

2006年にはACシエーナに移籍。最終節でようやく残留を決めるなど、非常に苦しいシーズンとなり、シーズン終了後に辞任を発表、監督の座は後任のアンドレア・マンドルリーニに譲ることとなった。

2007年は所属クラブがなかったが、不振に喘ぐシエーナが12節終了時点(1勝6分、勝ち点9)でマンドルリーニを解任。その後任として、改めてシエーナの指揮を執ることになった。その後のシエーナはマッシモ・マッカローネの活躍もあり残留を決めたが、ベレッタはこの残留を置き土産にまたもやクラブを去ることとなった。2008-09シーズンはUSレッチェの監督に就任したが、リーグ下位に低迷し2009年3月11日に解任。

11月29日ステファノ・コラントゥオーノの後任として、トリノFCの監督に就任。2010年1月10日、成績不振により短期間で解任され、コラントゥオーノが復職した。2010年6月30日、ギリシャのPAOKテッサロニキ監督に就任したが、内部対立により7月22日に契約を解消した。

12月6日ジュゼッペ・イアキーニの後任としてブレシア・カルチョの監督に就任するものの、成績不振から抜け出せず2011年1月30日に解任が発表され、トリノ時代同様に前任者が復職する形となった。

2012年2月20日ダニエレ・アッリゴーニの後任としてACチェゼーナの監督に就任したが、チームは最下位で降格し、退任した。

2013年7月16日、セリエBに降格したばかりのシエーナの監督に再び就任した。

2015年5月26日にカリアリ・カルチョと同年7月1日から3年間の契約を結び、ユースチームの監督に就任した[1]

2018-19シーズンより、フィリッポ・ガッリに代わりACミランのユース部門責任者を務める[2]

脚注

  1. ^ “UFFICIALE: Cagliari, Beretta nuovo responsabile del settore giovanile”. TuttoMercatoWeb.com (2015年5月26日). 2015年1月9日閲覧。
  2. ^ “Novità in casa Milan: Beretta responsabile delle giovanili”. Goal.com (2018年6月9日). 2018年7月28日閲覧。

外部リンク

  • Profilo allenatore - Mario Beretta Transfermarkt
ACチェゼーナ歴代監督
  • パンターニ1940-41
  • ジャンニ1941-42
  • シュテュルマー (en1942-43
  • ペッラーリン1943-44
  • ジャンニ1945
  • ペッラーリン1946
  • ミリアーノ (it1946-47
  • バルディ (it1947-48
  • エレナ (it1948-49
  • パンターニ1949
  • スカリオッティ (en1950
  • クーティック1950
  • エレナ (it1951-52
  • ネリ1952-53
  • ペッラーリン1953-54
  • マーニ1954
  • A.ボンチ1954-55
  • ルッキ (it1955-59
  • マタッソーニ (it1959-60
  • ブルーニ (en1960-61
  • マタッソーニ (it1961
  • ポッジ (en1961
  • トレヴィザン (it1962
  • ザヴァッティ (it1962-63
  • ルッキ (it1963-65
  • マタッソーニ (it1965-66
  • E.ボンチ (it1966
  • メウッチ (it1967-69
  • マタッソーニ (it1969
  • チェルヴェッラーティ (en1970
  • P.ボンチ1970
  • ボニッツォーニ (it1970-71
  • ファッブリ (en1971
  • ラディーチェ (en1971-73
  • ベルセリーニ (it1973-75
  • マルキオーロ (en1975-76
  • コルジーニ (en1976
  • フェラリオ (it1976
  • ロサーティ (it1977
  • フェラリオ (it1977
  • ネリ1977
  • マルキオーロ (en1977-78
  • カーデ (en1978-79
  • バニョーリ (en1979-81
  • ファッブリ (en1981
  • ルッキ (it1982
  • ボルキ (en1982-83
  • マルキオーロ (en1983
  • ティベリ (it1984
  • ブッフォーニ (it1984-86
  • ボルキ (en1986-87
  • ビゴン (en1987-89
  • リッピ1989-90
  • チェッカレーリ (it1991
  • バティストーニ (en1991
  • ペロッティ (it1991-92
  • サルヴェミーニ1992
  • ビチーニ1993
  • ボルキ (en1993-95
  • タルデッリ1995-97
  • マルキオーロ (en1997
  • チェッカレーリ (it1997
  • ベネデッティ (it1997-98
  • カヴァジン (en1998-99
  • ニコレッティ (it1999
  • アモニアーチ (it1999-00
  • タッツィオーリ2000
  • フェラリオ (it2000
  • ヴェッキ (en2000-02
  • クットーネ (it2002
  • イアキーニ (en2002-03
  • カストーリ (en2003-07
  • ヴァヴァッソーリ (en2008
  • カストーリ (en2008
  • ビゾーリ (en2008-10
  • フィッカデンティ2010-11
  • ジャンパオロ2011
  • アッリゴーニ2011-12
  • ベレッタ2012
  • カンペデッリ (en2012
  • ビゾーリ (en2012-14
  • ディ・カルロ2014-15
  • ドラゴ (en2015-16
  • カンプローネ2016-17
  • カストーリ (en2017-
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  • VIAF