僻派

僻派(へきは、벽파)は、朝鮮正祖期の老論派の中の強硬派、および保守派である[1]

貞純王后やシム・ファンジン、ホン・イナン、チョン・フギョムなどが僻派の中心であった。

英祖の治世(1724~1776)と、1800~1805年ごろには絶対的な権力を持っていたが、その後はほぼ壊滅した。

脚注

  1. ^ 目からウロコの逆さま世界史 [信頼性要検証]

外部リンク

  • 橋本増吉 (1938). 物語東洋史: 朝鮮. 第11巻. 雄山閣. p. 204. https://books.google.co.jp/books?id=aNBZk3tSqH8C&pg=PP248 2023年2月17日閲覧。 


四大士禍
勲旧派士林派
1575年
東西分党
西人東人
1589年
己丑獄事
南人北人
大北小北
清小北濁小北
1613年
癸丑獄事
肉北骨北中北
1623年
仁祖反正
功西派清西派
洛党原党山党漢党
1674年
甲寅礼訟
濁南清南
1680年
庚申換局
老論少論
1721年
辛壬獄事
緩論峻論
1727年
丁未換局
清名党蕩平党
1791年
辛亥迫害
信西派攻西派
僻派時派
勢道政治
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