八田原駅

八田原駅
保存されている駅名標(2010年6月)
はったばら
Hattabara
河佐 (2.5 km)
(6.4 km) 備後三川
地図
所在地 広島県世羅郡甲山町小谷
北緯34度35分31.4秒 東経133度8分29.5秒 / 北緯34.592056度 東経133.141528度 / 34.592056; 133.141528座標: 北緯34度35分31.4秒 東経133度8分29.5秒 / 北緯34.592056度 東経133.141528度 / 34.592056; 133.141528
所属事業者 西日本旅客鉄道(JR西日本)
所属路線 福塩線
キロ程 37.4 km(福山起点)
駅構造 地上駅
ホーム 1面1線
開業年月日 1963年昭和38年)10月1日[1]
廃止年月日 1989年平成元年)4月20日[1]
備考

無人駅

線路切り替えに伴う廃駅
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八田原駅(はったばらえき)は、かつて広島県世羅郡甲山町(現:世羅町)小谷にあった西日本旅客鉄道(JR西日本)福塩線廃駅)である[1]

駅構造

開業時から1面1線の単式ホームのみを持つ地上駅であった。

現在は八田原ダムによってできた人造湖(芦田湖)の水底に沈んでいる。当時の駅名標は芦田湖のほとりにある郷土民俗資料館に展示されている。

歴史

1963年昭和38年)に、住民の陳情によって新設開業したが、開業から数年後に芦田川下流の福山・府中両市の人口が増加したことや福山市東部の海岸部に日本鋼管(現在のJFEスチール)の大規模な製鉄所が進出したことなどから既に上流にあった三川ダム(世羅郡世羅町(当時・甲山町)伊尾)では十分需要に対応できなくなり、八田原ダムの建設が計画される。このため、八田原駅付近の福塩線は大幅に付け替えられることになった。

八田原駅については存続を求める意見もあったが、トンネル内にホームを設置するのには多額の費用がかかる上、それに見合った需要が見込めないことから1982年(昭和57年)に付け替えをもって廃止されることが決定した。その頃には八田原ダム予定地にかかる家屋は相次いで移転しており、八田原駅での乗降は皆無ということも珍しくない状況になっていた。

1989年平成元年)4月19日の最終列車の発車をもって八田原駅は25年半の歴史に幕を下ろした。翌4月20日からは福塩線の列車は八田原トンネル(延長6,123m)を通ることになり、八田原駅には列車は通らなくなった。1997年平成9年)に八田原ダムが完成し、八田原駅の跡は芦田湖の底に沈んだ。

年表

隣の駅

西日本旅客鉄道(JR西日本)
福塩線
河佐駅 - 八田原駅 - 備後三川駅

脚注

[脚注の使い方]
  1. ^ a b c d e f 石野哲 編『停車場変遷大事典 国鉄・JR編 II』(初版)JTB、1998年10月1日、272頁。ISBN 978-4-533-02980-6。 

関連項目

ウィキメディア・コモンズには、八田原駅に関連するカテゴリがあります。

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旧線(1935年廃止) : 両備福山 - 胡町 - 吉津 - 横尾 / 旧線(1989年廃止) : 河佐 - 八田原 - 備後三川

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