沓脱タケ子

沓脱 タケ子
くつぬぎ タケこ
生年月日 (1922-07-07) 1922年7月7日
出生地 日本の旗 日本 大阪府
没年月日 (2005-06-10) 2005年6月10日(82歳没)
死没地 日本の旗 日本 大阪市西淀川区
出身校 大阪女子高等医学専門学校
(現・関西医科大学
前職 医師
所属政党 日本共産党

選挙区 大阪府選挙区
当選回数 3回
在任期間 1973年 - 1983年
1986年 - 1992年
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沓脱 タケ子(くつぬぎ タケこ、1922年7月7日 - 2005年6月10日)は、日本医師であり政治家である。元日本共産党参議院議員。元姫島病院名誉院長。

生涯

大阪府出身。岸和田高等女学校(現大阪府立和泉高等学校)を経て、大阪女子高等医学専門学校(現関西医科大学)卒業。

1950年大阪を襲ったジェーン台風による浸水被害の中、勤務していた開設間もない姫島診療所(民家2階の仮診療所だった)から避難者があふれる姫島小学校で多数の病人・怪我人が出ているとの知らせを受け、地域住民の作ったで手当てのため小学校に向かう。半パンツ姿で孤立した家には2階から出入りし、夜は小学校に泊まり込み救護活動にあたった[1]

1973年に参院補選(大阪府選挙区)で自民党候補(森下泰)を破り初当選[2]。その後も大阪府選挙区から1977年1986年と当選、通算3期務める。議員在職中は乳幼児医療費無料化や、アスベスト問題などに取り組んだ。

2005年、腹部大動脈瘤破裂のため大阪市西淀川区の病院で死去。82歳だった。

脚注

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出典

  1. ^ いのちの平等をめざしてー淀協の70年のあゆみ. 一般財団法人淀川勤労者厚生協会. (2017年11月23日) 
  2. ^ “森山欽司 ─反骨のヒューマニスト─ 第十六章” (PDF). 2013年8月17日閲覧。

関連項目

関連書籍

  • 『タケ子Ⅱ』稲光宏子, 2010,新日本出版社(ISBN:978-4-406-05340-2)
第1回
(定数6)
3年議員
偶数回
定数3
第2回
第4回
第6回
第8回
第10回
第12回
第14回
第16回
第18回
第20回
第22回
定数4
第24回
第26回
奇数回
定数3
第3回
第5回
第7回
第9回
第11回
第13回
第15回
第17回
第19回
第21回
定数4
第23回
第25回
↓:途中辞職、失職、在職中死去など、↑:補欠選挙で当選。
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