笑福亭圓笑

五枚笹は、笑福亭一門の定紋である。

笑福亭 圓笑(しょうふくてい えんしょう)は、上方落語名跡。当代は四代目。

  • 初代笑福亭圓笑 - 詳細不明
  • 二代目笑福亭圓笑 - 本項にて記述
  • 三代目笑福亭圓笑
  • 四代目笑福亭円笑 - 当代

二代目 笑福亭しょうふくてい 圓笑えんしょう
本名 松本 豊七
生年月日 不詳年
没年月日 1891年8月8日
出身地 日本の旗 日本
師匠 初代笑福亭松鶴
名跡 1. 初代笑福亭鶴松
2. 三代目笑福亭吾竹
3. 二代目笑福亭松鶴
4. 二代目笑福亭圓笑
活動内容 上方落語
講談師
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二代目 笑福亭 圓笑(? - 1891年8月8日)は、落語家。本名:松本 豊七。享年不詳。

経歴

天保弘化年間頃の生まれ、初代松鶴の門人。初代笑福亭鶴松3代目(4代目とも)吾竹2代目笑福亭松鶴を経て、2代目笑福亭圓笑を名乗り、後に講談師となる。松橋を名乗っていた時期もあるらしい。

元は紺屋の形置職人で、仕事の合間に桃などの果物を売り歩いたため、落語家となった後も「桃屋」とあだ名される。また、夏祭りには流しのも演じていたという。

舞踊の名手で、「松尽くし」(一枚歯の下駄を履いて碁盤などの小台に乗り、五枚の扇を広げて舞う芸)の元祖はこの2代目松鶴と伝える。初代文枝が得意にした『三十石』に、師・初代松鶴の作った舟唄を加味し、当時の評判を取ったという(その写真は『落語系圖』p106に掲載されている)。一方では、高座を這い回ったり、役者のように目を剥くなどのケレンがあっともいう。

1876年頃には東京で修行、帰阪後は東京の上品な噺をめざしたという。

講談師になってからは、『加賀騒動』『業平文治』などを十八番にしたと伝える。

門下

脚注

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注釈

出典

参考文献

  • 月亭春松(編)『落語系圖』
  • 諸芸懇話会・大阪芸能懇話会(共編)『古今東西落語家事典』、平凡社、1989年、ISBN 458212612X
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