趙広

趙 広(ちょう こう)は、中国の人物。

  • 三国時代の蜀漢の牙門将。趙雲の次男。姜維に随行していたが、沓中での戦いで戦死した[1]
  • 南朝宋の時代の反乱指導者。元嘉9年に益州を占拠し、蜀王を自称したが、宋の裴方明により鎮定された。
  • 北宋末期の画家。馬を描くことに秀でていた。靖康の変で金軍の捕虜となり、腕を切断され、画家生命を絶たれた。

脚注

  1. ^ 陳寿撰、裴松之注『三国志』蜀書 趙雲伝
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