長者ヶ平遺跡
栃木県にある「長者ヶ平官衙遺跡」、鳥取県にある「長者ヶ平古墳」、あるいは新潟県糸魚川市にある「長者ヶ原遺跡」とは異なります。 |
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所在地 | 新潟県佐渡市小木 |
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座標 | 北緯37度49分13秒 東経138度14分04秒 / 北緯37.82028度 東経138.23444度 / 37.82028; 138.23444座標: 北緯37度49分13秒 東経138度14分04秒 / 北緯37.82028度 東経138.23444度 / 37.82028; 138.23444 |
歴史 | |
時代 | 縄文時代 |
文化財指定 | 1984年-国の史跡 |
長者ヶ平遺跡(ちょうじゃがだいらいせき)は、新潟県佐渡市小木にある縄文時代の集落遺跡である。1984年(昭和59年)7月21日、国の史跡に指定された[1]。
概要
本遺跡は、佐渡島の小木半島の中央部、標高175メートルの丘陵に所在する。遺跡は丘陵頂部の平坦地にあり、面積は約12,000平方メートル。遺跡地の南と西は崖、東は谷に面している。最初の発掘調査は1966年(昭和41年)から1968年(昭和43年)にかけて実施され、1980年(昭和55年)から1983年(昭和58年)にかけて國學院大學考古学研究室による調査が実施された。縄文時代前期末から断続的に後期初頭まで存続した遺跡である[2]。
遺構・遺物
遺構としては竪穴建物跡6軒、配石遺構11ヵ所が検出されている[3]。建物は楕円形平面で、炉は地床炉、埋甕炉、石囲炉などを設ける[1][2][4]。
土器は、縄文前期末から中期を経て後期初頭まで、東北、関東、北陸などさまざまな地方の影響を受けたものが出土する。前期末は十三菩提式(関東系)が優越し、朝日下層式(北陸系)、福浦上層式(北陸系)もみられる。中期前葉は北陸系の新保・新崎式のほか、中部高地系の集合沈線文の土器もある。中期中葉は、火焔式土器で著名な馬高式(越後)のほか、関東の加曽利E1式がみられる。中期後葉になると、佐渡特有の藤塚式や東北の大木式がみられ、後期の三宮貝塚式へつながる[1][4]。
土器のほか、土製品、石器、石製品も多数出土している。土製品は土偶のほか、土製円盤、耳飾、獣面把手などがある。石器・石製品は石皿と磨石が多量に出土しているのが特色である。他に石鏃、石槍、スクレーパーなどの武器・利器、立石、石棒のような呪術的遺物、玦状耳飾り、大珠未成品なども出土している[1][4]。
脚注
- ^ a b c d 田海義正 1991, p. 121.
- ^ a b 財団法人新潟県埋蔵文化財調査事業団 2009, p. 8.
- ^ 竪穴建物跡の数は資料によって差があり、『日本の史跡1』(同朋舎出版、1991)には「竪穴式住居跡10軒、うち確実なもの5軒」とある。ここでは新潟県埋蔵文化財調査事業団の資料に基づき6軒とする。
- ^ a b c “長者ヶ平遺跡(ラ・ラ・ネット 新潟県生涯学習情報提供システム)”. 新潟県立生涯学習推進センター. 2021年3月30日閲覧。
参考文献
- 田海義正「長者ヶ平遺跡」『日本の史跡』第1巻、同朋舎出版、121頁、1991年。
- 財団法人新潟県埋蔵文化財調査事業団「長者ヶ平遺跡」『埋文にいがた』第66巻、財団法人新潟県埋蔵文化財調査事業団、8頁、2009年3月。
- (リンク)
関連項目
外部リンク
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