阿寒郡

北海道阿寒郡の位置(緑:鶴居村 黄:明治期)

阿寒郡(あかんぐん)は、北海道釧路国釧路総合振興局

人口2,457人、面積571.8km²、人口密度4.3人/km²。(2024年4月30日、住民基本台帳人口)

以下の1村を含む。

郡域

1879年明治12年)に行政区画として発足した当時の郡域は、上記1町に釧路市の一部(阿寒町各町)を加えた区域にあたる。

歴史

郡発足までの沿革

江戸時代の阿寒郡域は、松前藩によって開かれたクスリ場所に含まれた。

江戸時代後期、阿寒郡域は東蝦夷地に属していた。国防のため寛政11年阿寒郡域は天領とされた。文化5年から文化7年にかけて白糠在勤の幕吏・大塚忽太郎によって白糠郡庶路から阿寒郡内の下辛太や阿寒湖西岸を通り網尻郡を経て北見国網走郡新栗履(にくりばけ、今の網走市藻琴)に至る46里(180.7km)の網走越(国道240号の前身)が開削され、留萌など西蝦夷地の各場所に馬を配置する際などに利用された。文政4年には一旦松前藩領に復したものの、安政2年再び天領となり仙台藩が警固をおこなった。戊辰戦争箱館戦争)終結直後の1869年大宝律令国郡里制を踏襲して阿寒郡が置かれた。

郡発足以降の沿革

北海道一・二級町村制施行時の阿寒郡の町村(11.舌辛村 紫:釧路市 青:合併を経ていない町村 水色:分立して現存する町村 21.鶴居村)
  • 明治2年
  • 明治3年
  • 明治4年6月 - 再び開拓使の管轄となる。
  • 明治5年
    • 4月9日(1872年5月15日) - 全国一律に戸長・副戸長を設置(大区小区制)。
    • 10月10日(1872年11月10日) - 4月に設置された区を大区と改称し、その下に旧来の町村をいくつかまとめて小区を設置(大区小区制)。
  • 明治9年(1876年)9月 - 従来開拓使において随意定めた大小区画を廃し、新たに全道を30の大区に分ち、大区の下に166の小区を設けた。
明治9年の大区小区
  • 第24大区
    • 5小区 : 舌辛村、徹別村、蘇牛村、飽別村

参考文献

関連項目

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