サミュエル・チェイス

サミュエル・チェイス
Samuel Chase
アメリカ合衆国連邦最高裁判所陪席判事
任期
1796年2月4日 – 1811年6月19日
ノミネート者ジョージ・ワシントン
前任者ジョン・ブレア
後任者ガブリエル・デュバル(英語版)
個人情報
生誕 (1741-04-17) 1741年4月17日
13植民地 メリーランド植民地サマセット郡
死没 (1811-06-19) 1811年6月19日(70歳没)
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 メリーランド州ボルチモア
政党連邦党
配偶者アン・ボールドウィン
ハンナ・キルティ
署名

サミュエル・チェイス: Samuel Chase1741年4月17日 - 1811年6月19日)とは、アメリカ合衆国合衆国最高裁判所陪席判事であり、若い頃にメリーランドの代表としてアメリカ独立宣言に署名した。確固とした連邦党員としても良く知られ、その党派的考え方が判決に影響していると言われて弾劾されたが、無罪となった。

生い立ちと初期の経歴

チェイスはトマス・チェイス牧師(1703年頃-1779年)とその妻マティルダ・ウォーカー(?-1744年頃)夫妻の一人息子として、メリーランドのプリンセス・アン近くで生まれた[1]

父のトマスはサマセット郡に移民してきた牧師であり、そこでの新しい聖職者となった。チェイスは家庭で教育を受けた。18歳の時にアナポリスに移動し、そこでジョン・ホールの下について法律の勉強をした[1]。1761年には法廷弁護士として認められ[2]、アナポリスで法律の実習を始めた。

家族および私的生活

1762年5月、トマス・ボールドウィンとその妻アグネスの娘アン・ボールドウィンと結婚した。夫妻には3人の息子と4人の娘が生まれたが、成人したのは4人だけだった[1]

1784年、メリーランドのイングランド銀行株を取り扱うためにイングランドに旅し、そこでバークシャーの医師サミュエル・ジャイルズの娘ハンナ・キティと出会った。二人はその年遅くに結婚し2人の娘が生まれた[1]

アナポリスでの経歴

1762年、チェイスはアナポリスの討論クラブであるフォレンシック・クラブから「過度に規則に従わず不品行である」として追放された[1]。これはチェイスの人生を取り巻く大きな論争の始まりに過ぎなかった。

1764年、チェイスはメリーランド植民地議会議員に選出され、この職を20年間続けた[2]

親しい友人のウィリアム・パカと共に自由の息子達のアン・アランデル郡支部を興し、また1765年の印紙法に対する反対運動を指導した[1]

大陸会議

1774年から1776年にかけてメリーランドの革命政府であるアナポリス会議の一員であった。大陸会議ではメリーランド代表となり、1775年にも再選されてアメリカ独立宣言に署名した[2]

大陸会議には1778年まで代表を務めた。大陸会議の地位を通じてインサイダー情報を使い小麦商品を買占めしようという目論見に関わり、その結果大陸会議には戻れなくなり評判も落とした。

法曹界の経歴

1786年、チェイスはボルティモアに転居し、そこでの暮らしが生涯続いた。1788年、ボルティモアの地方刑事裁判所主席判事に指名されこれを1796年まで続けた。1791年、メリーランド高等裁判所の主席判事になり、これも1796年まで続けた[2]

1796年1月26日ジョージ・ワシントン大統領合衆国最高裁判所の陪席判事にチェイスを指名した。この職はチェイスが死ぬ1811年6月19日まで続けた[2]

弾劾

チェイスは1804年遅くにアメリカ合衆国下院により弾劾条項の6か条に触れるとされたが、そのうちの幾つかはジョン・フリーズの裁判にからむことであった。他にも2か条が後に追加された。副大統領アーロン・バーの差配で民主共和党が支配するアメリカ合衆国上院1805年初めにチェイスの弾劾裁判を始めた。

あらゆる訴因は下級巡回裁判所での裁判官としての仕事に関わっていた(当時の最高裁の判事は時に巡回裁判所でも仕事をしており、この慣習は19世紀遅くまで続いた)。陳述の中心はチェイスの政治的な偏向によって被告とその弁護団をあからさまに不公平なやり方で扱ったということであった。

1805年3月1日、上院の裁決はチェイスを無罪とし、その結果現職に留まることができた。チェイスは弾劾を受けた唯一の最高裁判事である[2]。この無罪判決で連邦の司法制度の独立性は党派的抗争を斥けられるということを確立するために力があったと考えられている。20世紀の最高裁主席判事ウィリアム・レンキストはその著書『大審問』の中で、「判事は法廷で行ったことをもとに弾劾をうけることはないという非公式先例となった。チェイス以降に弾劾された判事は全て明白な犯罪によって告発された。」と述べた。

脚注

[脚注の使い方]
  1. ^ a b c d e f “Chase, Samuel (1741- 1811)” (html). Maryland Online Encyclopedia (MdOE). Maryland Online Encyclopedia, a joint project of the Maryland Historical Society, the Maryland Humanities Council, the Enoch Pratt Free Library, and the Maryland State Department of Education (2005年). 2008年5月9日時点のオリジナルよりアーカイブ。2007年12月5日閲覧。
  2. ^ a b c d e f “Samuel Chase” (html). The Supreme Court Historical Society. 2007年7月13日時点のオリジナルよりアーカイブ。2007年12月5日閲覧。

参考文献

  • Haw,, James; F. F. Beirne, R. S. Jett (1980). Stormy Patriot: the Life of Samuel Chase. Baltimore: Maryland Historical Society. ISBN 0938420003 
  • Papenfuse, Edward C (July 1, 1987). Biographical Dictionary of the Maryland Legislature. 2 Vol. Set. Baltimore: The Johns Hopkins University Press. ISBN 0801835704 

外部リンク

  • ColonialHall.com: Samuel Chase
  • Samuel Chase, Freedom Firebrand - Delmarva Heritage Series
先代
ジョン・ブレア
アメリカ合衆国最高裁判所陪席判事
1796-1811
次代
ガブリエル・デュバル
 
  1. ジョン・ジェイ (1789–1795(英語版)判例(英語版))
  2. ジョン・ラトリッジ (1795(英語版)判例(英語版))
  3. オリバー・エルスワース (1796–1800(英語版)判例(英語版))
  4. ジョン・マーシャル (1801–1835(英語版)判例(英語版))
  5. ロジャー・B・トーニー (1836–1864(英語版)判例(英語版))
  6. サーモン・P・チェイス (1864–1873(英語版)判例(英語版))
  7. モリソン・ワイト(英語版) (1874–1888(英語版)判例(英語版))
  8. メルヴィル・フラー(英語版) (1888–1910(英語版)判例(英語版))
  9. エドワード・ダグラス・ホワイト (1910–1921(英語版)判例(英語版))
  10. ウィリアム・ハワード・タフト (1921–1930(英語版)判例(英語版))
  11. チャールズ・エヴァンズ・ヒューズ (1930–1941(英語版)判例(英語版))
  12. ハーラン・F・ストーン (1941–1946(英語版)判例(英語版))
  13. フレッド・M・ヴィンソン (1946–1953(英語版)判例(英語版))
  14. アール・ウォーレン (1953–1969(英語版)判例(英語版))
  15. ウォーレン・E・バーガー(英語版) (1969–1986(英語版)判例(英語版))
  16. ウィリアム・レンキスト (1986–2005(英語版)判例(英語版))
  17. ジョン・ロバーツ (2005–現職判例(英語版))
 
  1. J・ラトリッジ* (1790–1791)
  2. クッシング (1790–1810)
  3. ウィルソン (1789–1798)
  4. ブレア (1790–1795)
  5. アイアデル (1790–1799)
  6. T・ジョンソン (1792–1793)
  7. パターソン (1793–1806)
  8. S・チェイス (1796–1811)
  9. ワシントン(英語版) (1798–1829)
  10. ムーア(英語版) (1800–1804)
  11. W・ジョンソン(英語版) (1804–1834)
  12. リビングストン (1807–1823)
  13. トッド(英語版) (1807–1826)
  14. デュバル(英語版) (1811–1835)
  15. ストーリー(英語版) (1812–1845)
  16. トンプソン (1823–1843)
  17. トリンブル(英語版) (1826–1828)
  18. マクレーン (1829–1861)
  19. ボールドウィン(英語版) (1830–1844)
  20. ウェイン(英語版) (1835–1867)
  21. バーバー(英語版) (1836–1841)
  22. カトロン(英語版) (1837–1865)
  23. マッキンレー(英語版) (1838–1852)
  24. ダニエル(英語版) (1842–1860)
  25. ネルソン(英語版) (1845–1872)
  26. ウッドベリー (1845–1851)
  27. グリア(英語版) (1846–1870)
  28. カーティス(英語版) (1851–1857)
  29. キャンベル(英語版) (1853–1861)
  30. クリフォード (1858–1881)
  31. スウェイン(英語版) (1862–1881)
  32. ミラー(英語版) (1862–1890)
  33. デイヴィス(英語版) (1862–1877)
  34. フィールド(英語版) (1863–1897)
  35. ストロング(英語版) (1870–1880)
  36. ブラッドリー(英語版) (1870–1892)
  37. ハント(英語版) (1873–1882)
  38. J・M・ハーラン(英語版) (1877–1911)
  39. ウッズ(英語版) (1881–1887)
  40. マシューズ(英語版) (1881–1889)
  41. グレイ(英語版) (1882–1902)
  42. ブラッチフォード(英語版) (1882–1893)
  43. L・ラマー(英語版) (1888–1893)
  44. ブルーワー(英語版) (1890–1910)
  45. ブラウン(英語版) (1891–1906)
  46. シラス(英語版) (1892–1903)
  47. H・ジャクソン(英語版) (1893–1895)
  48. E・ホワイト* (1894–1910)
  49. ペッカム(英語版) (1896–1909)
  50. マッケナ(英語版) (1898–1925)
  51. ホームズ (1902–1932)
  52. デイ (1903–1922)
  53. ムーディ (1906–1910)
  54. ラートン(英語版) (1910–1914)
  55. ヒューズ* (1910–1916)
  56. ヴァン・ドヴァンター(英語版) (1911–1937)
  57. J・ラマー(英語版) (1911–1916)
  58. ピツニー(英語版) (1912–1922)
  59. マクレイノルズ(英語版) (1914–1941)
  60. ブランダイス (1916–1939)
  61. クラーク(英語版) (1916–1922)
  62. サザーランド(英語版) (1922–1938)
  63. バトラー(英語版) (1923–1939)
  64. サンフォード(英語版) (1923–1930)
  65. ストーン* (1925–1941)
  66. O・ロバーツ(英語版) (1930–1945)
  67. カードーゾ (1932–1938)
  68. ブラック (1937–1971)
  69. リード(英語版) (1938–1957)
  70. フランクファーター (1939–1962)
  71. ダグラス(英語版) (1939–1975)
  72. マーフィー(英語版) (1940–1949)
  73. バーンズ (1941–1942)
  74. R・ジャクソン (1941–1954)
  75. W・ラトリッジ(英語版) (1943–1949)
  76. バートン(英語版) (1945–1958)
  77. クラーク(英語版) (1949–1967)
  78. ミントン(英語版) (1949–1956)
  79. J・M・ハーラン2世(英語版) (1955–1971)
  80. ブレナン (1956–1990)
  81. ウィテカー(英語版) (1957–1962)
  82. スチュワート(英語版) (1958–1981)
  83. B・ホワイト (1962–1993)
  84. ゴールドバーグ(英語版) (1962–1965)
  85. フォータス(英語版) (1965–1969)
  86. T・マーシャル (1967–1991)
  87. ブラックマン (1970–1994)
  88. パウエル(英語版) (1972–1987)
  89. レンキスト* (1972–1986)
  90. スティーブンス (1975–2010)
  91. オコナー (1981–2006)
  92. スカリア (1986–2016)
  93. ケネディ (1988–2018)
  94. スーター (1990–2009)
  95. トーマス (1991–現職)
  96. ギンズバーグ (1993–2020)
  97. ブライヤー (1994–2022)
  98. アリート (2006–現職)
  99. ソトマイヨール (2009–現職)
  100. ケイガン (2010–現職)
  101. ゴーサッチ (2017–現職)
  102. カバノー (2018–現職)
  103. バレット (2020–現職)
  104. K・ジャクソン (2022–現職)
*首席判事も務めた人物
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