葛和伸元

葛和 伸元
Nobuchika Kuzuwa
基本情報
国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1955-01-06) 1955年1月6日(69歳)
出身地 大阪府羽曳野市
ラテン文字 Nobuchika Kuzuwa
選手情報
所属 拓大紅陵高等学校女子バレーボール部
役職 監督
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葛和 伸元(くずわ のぶちか、1955年1月6日 - )は、日本バレーボール元選手・指導者。元全日本女子バレーボールチーム監督。大阪府羽曳野市出身。

来歴

大阪商大附属高等学校から法政大学を経て、卒業後は日本電気男子バレー部に入部した。選手として活躍後、女子バレー部コーチを経て同部監督となる。1997年にはVリーグ優勝に導き、同年から2000年まで全日本女子バレーボールチーム監督を務めた。

全日本女子監督就任後は大型化を推進し、アタッカーだった大貫美奈子をセッターにコンバートしたものの上手くいかず、NECの教え子である竹下佳江を正セッターに抜擢して2000年シドニーオリンピック世界最終予選に臨んだ。しかし、日本は3勝4敗の6位で敗退し日本女子バレー史上初の五輪出場を逃す結果に終わり、責任を取って辞任した。その後、再びNECレッドロケッツの監督、総監督を務めた。

2005年10月、NECから出向の形で当時V1リーグトヨタ車体クインシーズ総監督に就任しチームをプレミアリーグ昇格に導いた。

2008年6月、総監督から監督に就任した。

2012年4月、監督を退任[1]。2014年4月、仙台ベルフィーユの監督に就任[2]

2018年4月から日本航空高等学校女子バレーボール部監督に就任する[3]

2022年、V.LEAGUE入りを目指すベスビアス長岡(新潟県)の監督に就任した[4]

2024年、拓大紅陵高等学校女子バレーボール部監督に就任[5]

人物・エピソード

  • 非常な熱血漢タイプの監督として知られ、マスコミから「ニッポンの怒る人」と命名されたこともあるほどである。ただし「ここは最大集中や。」等という精神論に重きを置いた指導は一部から批判された。
  • 指導の厳しさとは裏腹に、トーク番組ではお茶目な姿を見せるなどしている。

所属チーム

選手

指導者

脚注

  1. ^ トヨタ車体クインシーズ. “葛和監督の勇退について”. 2012年4月22日閲覧。
  2. ^ 河北新報 OnlineNews. “仙台新監督に葛和氏 バレー女子チャレンジL”. 2014年4月19日閲覧。
  3. ^ “日本航空高女子バレー部の新監督に元全日本女子監督の葛和氏が就任”. スポーツ報知. 2018年3月10日閲覧。
  4. ^ “Vリーグを目指す女子バレーボールクラブ『ベスビアス新潟』 長岡市長に意気込みを伝える 《新潟》”. テレビ新潟. (2022年5月26日). https://www.teny.co.jp/news/news114ffro711172hcp909 2022年5月27日閲覧。 
  5. ^ 共同通信社. “【バレー】葛和伸元女子日本代表元監督が拓大紅陵高監督に「人間教育を柱としたチームづくりを」 - バレーボール : 日刊スポーツ”. nikkansports.com. 2024年4月13日閲覧。
日本の旗 バレーボール日本女子代表 - 歴代監督
日本男子代表監督
 
日本の旗 バレーボール全日本女子監督
日本の旗 バレーボール全日本女子 - 1997 グラチャン
日本の旗 バレーボール全日本女子 - 1998 世界選手権
日本の旗 バレーボール全日本女子 - 1999 ワールドカップ
日本の旗 バレーボール全日本女子 - 2000 シドニー五輪 世界最終予選
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