板橋恵

板橋 恵
Megumi Itabashi
基本情報
国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1973-06-07) 1973年6月7日(50歳)
出身地 宮城県黒川郡大和町
ラテン文字 Megumi Itabashi
身長 167cm
体重 62kg
血液型 A型
選手情報
愛称 メグ
ポジション S
指高 212cm
利き手
スパイク 285cm
ブロック 279cm
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板橋 恵(いたばし めぐみ、現姓:今野[1]1973年6月7日 - )は、日本の元女子バレーボール選手。

来歴

宮城県黒川郡大和町出身。小学校3年生からバレーボールを始める。古川商業高校1年生からセッターに転向。2年生時にインターハイ優勝。東北福祉大学では1年生時にインカレ準優勝を経験した。

1996年日立佐和リヴァーレに入団。1998年全日本代表チームに初選出。1999年ワールドカップでは正セッターを務め、同大会で6位となった。2002年に一度現役を引退するが、2003年に現役復帰し、第11回Vリーグでサーブ賞を受賞、第55回黒鷲旗大会で準優勝へ導く。

2005年、5年ぶりとなる全日本復帰を果たした。同年のワールドグランプリワールドグランドチャンピオンズカップに出場した。 2007年のアジア選手権で24年ぶりの優勝を経験した。

2009年5月、日立佐和リヴァーレを退団し、同年9月パイオニアレッドウィングスに移籍した。

2010/11シーズン、Vリーグ通算230試合出場を達成し、Vリーグ栄誉賞を受賞した。Vリーグ女子の大卒選手では初の受賞となる快挙であった[2]

2011年6月にパイオニアを退部し、同年11月に仙台ベルフィーユにコーチ兼選手として移籍した[3]。同月、体調不良で総監督に退いた米田一典にかわり、選手兼任で監督に就任した[4]

2012年4月、仙台ベルフィーユ監督を退任し、同チームを退団[5]。その後、結婚し、2人の娘がいる[1][6]

エピソード

東北福祉大学時代は主将としてチームを牽引した。或る日、監督の佐藤伊知子から「あなたは正セッターには使わない」と言われ、練習でも士気を失いかけたことがある。それを選手や監督から見透かされ「第2セッターに甘んじるのではなく、あくまでも自分が正セッターを取るぐらいの士気で臨まなければ、チームは進歩しない」と悟り、以後猛練習に励むようになり、監督からも全幅の信頼を得て正セッターの座を奪還した。

所属チーム

球歴

脚注

  1. ^ a b 昭光, 菊池 (2023年12月23日). “フェニックスのごとく復活、全日本へ 元バレーボール選手 今野恵さん(50)令和人国記”. 産経ニュース. 2024年2月28日閲覧。
  2. ^ “埼玉上尾・山岸あかねがVリーグ出場通算230試合出場達成。女子の大卒選手では史上2人目”. バレーボールマガジン. (2023年3月5日). https://vbm.link/650172/ 2023年3月9日閲覧。 
  3. ^ [1]
  4. ^ 河北新報. “板橋が選手兼任で仙台の監督に”. 2011年11月24日時点のオリジナルよりアーカイブ。2011年11月21日閲覧。
  5. ^ [2]
  6. ^ 河北新報社(2016年4月27日)

外部リンク

  • 日本バレーボールリーグ機構の旧サイトにおけるプロフィール - ウェイバックマシン(2016年3月4日アーカイブ分)
  • 仙台ベルフィーユ プレーヤー
  • パイオニアレッドウィングス 退団選手のお知らせ
  • 女子バレーボールワールドグランプリ2006 全日本女子メンバー - ウェイバックマシン(2007年1月12日アーカイブ分)
 
日本の旗 バレーボール全日本女子
日本の旗 バレーボール全日本女子 - 1999 ワールドカップ
日本の旗 バレーボール全日本女子 - 2000 シドニー五輪 世界最終予選
日本の旗 バレーボール全日本女子 - 2005 グラチャン
 
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★は黒鷲賞、☆は敢闘賞