エリック・ブーリエ

エリック・ブーリエÉric Boullier1973年11月9日 - )は、フランスラヴァル出身[1]モータースポーツ関係者。F1ルノー(およびロータス)のチーム代表[2]マクラーレンのレーシングディレクターを務めた。

経歴

フランスのInstitut Polytechnique des Sciences Appliquees(先端科学の工科大学)で航空宇宙工学を学んだ後、1999年にフランスの名門チームDAMSに加入し、国際F3000ル・マンプロジェクトで働いた[1]

2002年はワールドシリーズ・バイ・ニッサンに参戦するレーシング・エンジニアリングへ移籍し、チーフエンジニアに任命された(担当ドライバーはフランク・モンタニー)。

2003年にDAMSへ復帰し、テクニカル・ディレクターに就任。その後マネージング・ディレクターも兼任し、GP2フォーミュラ・ルノー3.5A1グランプリ(フランスチーム)で指揮を執った。GP2アジアシリーズでは2008 - 2009年シーズンにDAMS所属の小林可夢偉ジェローム・ダンブロシオが総合1・2位を獲得した。

2009年には、ジェラルド・ロペス率いるジニー・キャピタルが運営するグラビティ・スポーツ・マネージメントの代表に就任し、ダンブロシオらのマネージメントを担当した。

2009年末、ジニー・キャピタルがルノーF1チームの共同運営者となり[3]、2010年1月5日に、ブーリエは36歳でルノーのチーム代表に就任した[4]。スキャンダル(クラッシュゲート)の後遺症もあり、新代表の若さとF1経験のなさを不安視する向きもあったが、ブーリエはチームをまとめて2010年シーズンを乗り切った。ルノーが2010年限りでワークス活動を終了したため、2011年はロータス・ルノーGP、2012年以後はロータスF1チームとしてF1に参戦している。2012年にはマネージメントを担当するロマン・グロージャンを正ドライバー、ダンブロシオをサードドライバーとして起用した。

2011年4月、ブーリエはステファノ・ドメニカリスクーデリア・フェラーリ)に代わってフォーミュラ・ワン・チームズ・アソシエーション (FOTA) の副代表に就任した[5]

2014年1月24日、ブーリエはロータスを辞職し、29日にマクラーレン・レーシングのCEO兼レーシングディレクターになることを発表した[6]。2015年よりマクラーレンが搭載するホンダ製パワーユニット(PU)については、信頼性や性能が不足していると発言した[7]。また、2018年よりルノー製PUへの変更を決定した際、ブーリエ自身はチームとして在籍していたことやルノーエンジンでレースを経験していたこともあり、「PUを交換しただけでラップタイムは1秒速くなる」と主張したが[8]、それまでと変わらず成績低迷は続いた。2018年7月3日、チームはブーリエがマクラーレンのレーシングディレクターを辞任[9]したと発表したが、事実上の更迭であった。

マクラーレン加入まではそれなりの成功を収めており、DAMSの幹部や2010年から2013年のルノー(ロータス)で結果を残していた。実際、ロン・デニスから依頼をされてマクラーレンCEO就任しており、少なくとも、ザク・ブラウンと違い他業種から移ってきたわけではなく、就任直後の評価はそれほど悪くなかった。現に2015年からの不振をホンダエンジンの問題に押し付ける言動をするチームの状況に関して、2017年シーズンのスペインGPの前後のインタビュー[10]のように時折咎めたり、別視点のコメントをしてフォローした[11][12]こともあった。だが、イメージ戦略に基づくメディア対応やドライバーに対する配慮の一環であったとしても[13]、チームがそういった言動をすることやアロンソの過激なコメント[14]を発することを事実上黙認し、全体で見れば、チーム内の問題に対する対応の失敗や自身の後任となったアンドレアス・ザイドルが行ったような積極的なリーダーシップを取ってチーム内の意識改革にも着手しなかったため、自ら批判を招く言動をしていた面があるのも事実である。一応、ブーリエはガーデニング休暇(機密保持期間)後のインタビューにおいて、ホンダとの提携はデニスの見通しより厳しいものになるという考えを持っていたらしく、会議の場でデニスに対しても自らの考えを口にしたこと[15]もあると釈明したが、いわゆる結果を残すという点では失敗したため、自身の晩節を汚すこととなった。 とはいえ、2013年の成績が表彰台ゼロという1980年以来の大不振に終わったように、チーム自体がブーリエ就任前からマシン開発の迷走ないしチームの低迷期に入った感も否めなかった。現に2015年から数年を行われたサイズゼロコンセプトが結果的に失敗したことや2018年スペインGPでのアップデートの不調といったマシン開発のミス[16][17]などが起きている。また、2018年からルノーエンジンに変更したことでチーム全体が現状に問題があることを認識[18][19][20]し、それを経て行われた組織改革[21]によって2019年の復調につながることとなった。そのため、責任者という観点から批判されることは避けられないにしても、当時の関係者ということで必要以上に批判にさらされていることも否めない面がある。

その後、ガーデニング休暇が終了したと思われるタイミングでフランスGPの戦略アドバイザーに就任した。後にフランスGPのプロモーター団体である「グランプリ・ド・フランス」の代表に就任したが、2023年以降のフランスGPの開催継続に失敗したことから、2022年12月にグランプリ・ド・フランスは解散。それに伴いブーリエも職を失った[22]

脚注

[脚注の使い方]
  1. ^ a b "エリック・ブーリエ". ESPN F1. 2013年2月10日閲覧。
  2. ^ Boullier, le titre d'ici trois ans
  3. ^ "ルノー、ジニー・キャピタルとチームを共同運営、来季もルノーの名称でF1参戦。レッドブルへのエンジン供給も継続". オートスポーツ.(2009年12月16日)2013年2月10日閲覧。
  4. ^ "ルノー、新代表はエリック・ブーリエ". STINGER.(2010年1月6日)2013年2月10日閲覧。
  5. ^ "ウィットマーシュがFOTA会長を継続". ESPN F1.(2011年4月10日)2013年2月10日閲覧。
  6. ^ “マクラーレン、ブーリエとの契約を正式に発表”. AUTOSPORT web(オートスポーツweb). (2014年1月29日). https://www.as-web.jp/past/%e3%83%9e%e3%82%af%e3%83%a9%e3%83%bc%e3%83%ac%e3%83%b3%e3%80%81%e3%83%96%e3%83%bc%e3%83%aa%e3%82%a8%e3%81%a8%e3%81%ae%e5%a5%91%e7%b4%84%e3%82%92%e6%ad%a3%e5%bc%8f%e3%81%ab%e7%99%ba%e8%a1%a8 2014年1月29日閲覧。 
  7. ^ “マクラーレン・ホンダ不協和音報道を考える…62億円減収記事の波紋/F1(1/2ページ)”. サンスポ. (2015年7月16日). https://www.sanspo.com/article/20150716-6SS6CLUQ5ZK2XDKGMBYOGDN55Y/ 2018年7月4日閲覧。 
  8. ^ “ホンダとルノーの差は1秒あるとマクラーレン”. Topnews. (2018年2月5日). http://www.topnews.jp/2018/02/05/news/f1/166878.html 2018年7月4日閲覧。 
  9. ^ “マクラーレンのレーシングディレクター、ブーリエが辞職。ド・フェランが新設スポーティングディレクターに”. AUTOSPORT.com. (2018年7月4日). https://www.as-web.jp/f1/387065?all 2018年7月4日閲覧。 
  10. ^ ホンダの不調にもマクラーレンF1首脳「我々にはシャシーの責任がある」積極的開発を誓う - www.as-web.jp・(2017年4月28日)2019年3月26日閲覧
  11. ^ 「マクラーレン・ホンダF1のプロジェクトを信じるドライバーしか必要ない」チームがアロンソに忠誠心を求める - www.as-web.jp・(2017年7月14日)2019年3月26日閲覧
  12. ^ “「ホンダF1の問題点は対応の遅さ」とマクラーレン。F1の文化に合わせたスピーディーな開発を求める”. AUTOSPORT.com. (2017年3月23日). http://www.as-web.jp/f1/100951?all 2018年7月4日閲覧。 
  13. ^ 【マクラーレン】ブーリエ「ホンダPUはすべてにおいて劣っている」 - Topnews(2017年5月2日)2018年7月4日閲覧
  14. ^ 「ホンダの悪口を言わなければアロンソは爆発していた」とエリック・ブーリエ - www.topnews.jp・(2018年2月8日)2019年3月27日閲覧
  15. ^ 「マクラーレン・ホンダが失敗するのは最初から分かっていた」とエリック・ブーリエ - www.topnews.jp・(2019年3月25日)2019年3月27日閲覧
  16. ^ 【マクラーレン】ザック・ブラウンCEO「不振の原因は組織と構造。復活へ向けて歩み出す」 - www.topnews.jp・(2018年7月5日)2019年3月26日閲覧
  17. ^ マクラーレンCEO、チームの構造的欠陥に言及「意思決定が”渋滞”している」 - jp.motorsport.com・(2018年7月14日)2019年3月26日閲覧
  18. ^ マクラーレンに内紛?チームスタッフたちが元チーム代表に接触 - www.topnews.jp・(2018年6月19日)2019年3月26日閲覧
  19. ^ マクラーレンの問題は「F1への集中欠如」 - www.topnews.jp・(2019年1月24日)2019年3月26日閲覧
  20. ^ マクラーレン、ホンダとの決別に後悔なし。その出費は100億円以上? - jp.motorsport.com・(2018年12月19日)2019年3月26日閲覧
  21. ^ マクラーレンF1の技術部門ボスが退任との報道。期待外れのパフォーマンスを受け、組織再編が進行 - www.as-web.jp・(2018年4月27日)2019年3月26日閲覧
  22. ^ F1フランスGPのプロモーターが解散へ。2024年以降の開催計画は消滅か - オートスポーツ・2022年12月19日
イギリスの旗 マクラーレンF1チーム
チーム首脳
主なチームスタッフ
  • イギリスの旗 ピーター・プロドロモウ (テクニカルディレクター{空力})
  • イギリスの旗 ロブ・マーシャル(英語版)
  • イギリスの旗 ニール・ホールディ(スウェーデン語版)
  • イギリスの旗 ピアーズ・シン (エグゼクティブディレクター・オペレーション)
  • イギリスの旗 ニール・オートレイ (デザイン開発部門責任者)
  • 日本の旗 今井弘 (ディレクター・レースエンジニアリング)
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1980年
1981年 -
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  • 過去のチーム関係者
主な関係者
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チーム首脳
主なスタッフ
主なF1ドライバー
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1970年代
1980年代
1990年代
2000年代
2010年代
2020年代
※年代と順序はマクラーレンで初出走した時期に基づく。 ※マクラーレンにおいて優勝したドライバーを中心に記載。太字はマクラーレンにおいてドライバーズワールドチャンピオンを獲得。斜体はマクラーレンにおいて優勝がないものの特筆されるドライバー。
  • F1以外のレース車両
Can-Am
  • M1A(英語版) (B, C)
  • M6A(英語版)
  • M8A(英語版) (B, C, D, F)
  • M12(英語版)
  • M20(英語版)
F2
  • M2A(英語版)
  • M4A(英語版)
F5000
  • M3A(英語版)
  • M10(英語版)
  • M18(英語版)
  • M22(英語版)
  • M25(英語版)
USAC/CART
  • M15(英語版)
  • M16(英語版) (A, B, C, C/D, D, E)
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GT
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  • 過去のF1関連組織
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ワークスチーム
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主なドライバー
車両
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主なスポンサー
関連組織
太字はルノーにおいてドライバーズワールドチャンピオンを獲得。
2001年 - 現在
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※役職等は2023年2月時点。
1989年 - 1997年
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ワークスチーム
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主なドライバー
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エンジン供給先
関連組織
関連項目
※他チームへのエンジン供給は1983年から1986年にかけて行った。